« 大乗成立過程と、スリランカ伝経典の来歴について | トップページ | 出雲國神仏霊場 »

2008年12月17日 (水)

聖徳太子のチョイスが渋すぎる話

聖徳太子と言えば『三経義疏』。3種類の経典の注釈書を著したとされます。

『勝鬘経義疏』、『維摩経義疏』、『法華義疏』の3つで、それぞれ『勝鬘経』、『維摩経』、『法華経』についての注釈書。

昨今の聖徳太子抹殺論者が太子の作ではないとか言う説を言ったりしますが、日本書紀にも記述ありますし、そう変わらない年代に存在したのは写本などから信憑性のあるはなしですし、じゃあ他に誰が書くの?と言われると聖徳太子でいいんじゃないかと思うわけです。

四天王寺やら各種寺を作って仏教の教主として知られた人物の仕事として別に問題無いと思いますので、教主として知られた聖徳太子がやはり適任と言えると思います。


で、このチョイスの渋さはなんなんだ!というのがある。

解説しやすかったというのはあるのかもしれないけど、この3つをあえて選ぶというのはセンスというかメッセージ性が明らかだと思います。


勝鬘経はお姫様が仏道を説く説話

維摩経は在家が仏道を説く説話

法華経はツギハギだらけでいろんな派閥の思想が入っていますが、悪人救済が説かれている部分が多々ある。

つまり、女人成仏、在家成仏、悪人成仏というお経をあえて選んでるわけです。

三論宗が伝わっているので各種経典を学んで知っていたはずで他にも絶対あったろうに、あえてこの3つというのは、明らかに「わかってやってる」感があります。

民に一番分かりやすいと踏んだのかもしれませんが、この一乗的平等思想に大乗仏教の真髄を見出したのだろうと思われるわけです。


現在も四天王寺の近くに悲田院町という町名が残っていますし、実在したようですが

聖徳太子は四天王寺に四箇院を作ったと伝えられております。

敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つで、敬田院は寺院そのもののことで、施薬院&療病院は薬局&病院。悲田院は孤児や身寄りの無い老人、病人などを救済する施設とのことです。


行動も伴っているところをみると、四箇院と三経義疏はやはり同じ人物による同じ思想に貫かれていると思います。

施薬院で太子は勝鬘経の説法を行ったと伝わりますが、単なる伝説とも言えないのではないかと思います。


このように、日本仏教でまず一乗的思想が特に重視されたということはその後の仏教に大きな影響を与えたように思います。

三一論争に至るような唯識系の三乗思想より、一乗的立場がやはり支持される土壌にあった源流はこの聖徳太子当時の仏教の基本認識に根っこがあると思います。

華厳思想や、密教的な世界認識がすんなり受け入れられたのも元をたどればそこまで行き着くのかもしれません。


しかし菩薩行的発想と共に大乗仏教の両輪である空とか唯識に見られるような世界認識の哲学は軽視され、しまいには念仏成仏のような発想が人気を集めたりすることにもなり、それってほんとに救済できてるの?菩薩行に通づるの?と思わなくも無い。

恐らく縁起説の世界観で留まっていれば、「情けは人の為ならず」という慈悲思想で社会救済の思想になりえたと思うのですが、

その点日本仏教は行き過ぎたと思います。

念仏成仏で精神的に救われた人もいるかもしれませんが、我執を捨てて利他の心で生きるという聖徳太子時点の素朴な仏教観も見直すべきだと思います。

原理主義で華厳に傾倒した明恵の「あるべきよう」の思想なども参考になるかもしれません。


まあ要は、聖徳太子はやはりイケてるなという話でした。

« 大乗成立過程と、スリランカ伝経典の来歴について | トップページ | 出雲國神仏霊場 »

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1809125/48417516

この記事へのトラックバック一覧です: 聖徳太子のチョイスが渋すぎる話:

« 大乗成立過程と、スリランカ伝経典の来歴について | トップページ | 出雲國神仏霊場 »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック