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2009年1月30日 (金)

オウムとその後について考える

私はサリン事件以前からの典型的な「オーマー」(オウムの変な歌等をサブカル的に笑うウォッチャー。全く信者ではない)だったのですが(不謹慎なので表立って最近はネタにしないけど)、

ネット見てると、オウム真理教、そしてその後名前を変えたアレフ(英字のAlephに最近改称)の動きをちゃんとチェックしてるのはむしろオウマーばかりであり、宗教界とかオカルト業界が過去見逃してしまった汚点を総括しないままにスルーしてる場合が多いように思います。


オウム真理教=Alephは最近先鋭化してどうも危なっかしいことになってきているのですが、オウムを正統な仏教のように擁護した高名な宗教学者のかたがたや、事件後も仏教教学的にきっちり向かい合わなかった仏教界は責任重大なのに、なにをしてるのでしょうか。

風化したかのようにでも考えているのかもしれませんが、多数の信者をかかえた大きな宗教団体のままであり、いまだ麻原への洗脳が解けていない人がいっぱいいるのです。みなさんちゃんとこのあたり注視してるのでしょうか?

今スピリチュアルを隠れ蓑にして胡散臭い祈祷師や行者まがいがいっぱい出て、盲信する人も凄い勢いで増えています。今オウムをきちんと向き合わねば、絶対またいろいろ前途ある若者が道を誤る。


オウムはアレフになったのち、各派に分裂しています。

一番の契機はやはり唯一の信徒の最高位である正大師の上祐史浩が出所して戻ってきたことにある。やはり戻ってくると彼がアレフの代表に就任することになるのですが、そこで麻原信仰のグルイズム否定の論理を上祐は説きますが、信者の大多数に受け入れられず、ともすれば上祐はグルになろうとしてるというような反発で、彼は代表を降り、教団を実質的に追い出されます。

その上祐が作った新団体が「ひかりの輪」。大多数は反上祐であり、彼につきしたがったのはごくごく少数の数人に留まります。

ガチガチの出家信者の多くはAlephに残ります。

上祐が本気でアンチ麻原思想になっているかの議論はさておき、少なくとも上祐及びひかりの輪は反グルイズム、反麻原を明確に標榜し、「超能力あるなしと人格は一致せず」とし、麻原に超能力あったにしろなかったにしろ彼の人格は間違いとし、特定の誰かを尊ぶようなものを徹底的に否定する新教義を立てています。


さて問題は、Alephである。上祐という現実主義者を排除したことで、明確に反上祐教義、すなわち麻原回帰が先鋭化しているのである。

Aleph代表であった上祐の後任には野田成人が役員会で議決された。…が、野田も反上祐であっても麻原要素排除を当然とする現実的路線であるようです。その野田が現Aleph主流派(すなわち麻原こそ指導者とする派)から追い出され、代表とは名ばかりの状態におかれている。

野田の指摘などによれば教団はそれら原理主義派に占拠されている状態という。


ひかりの輪に行った信者はごくごく一部であり、大多数が今もって麻原派であるというこの現実。

そのなかでもまだ現実派の野田までが排除され先鋭化しつつある現実。

非常に危険な兆候です。


当時まだ若い人間も多くいたはずで、今でも20代の信者も居るかもしれない。

(『秘密のダーキニー』で有名なマハームドラー・ダーキニーちゃんとか確か未成年だったよね?今も信者なのか?)宗教界、信仰界はきっちりやはり彼らを向かい合わないといかんのじゃないだろうか。

恐らく放置してたら新しい信者も今のご時世なら生むよ。教学的にがっつり組み合って総括しきらないままじゃ。


こういうと御幣生むと思うけどあえて言う。『ひかりの輪』を褒める気はないが、彼らを解き放つには、少なくとも第一段階では上祐の理論は必要なのではないかと思う。


「麻原元教祖の真実について」という上祐の教学理論と自省を読んでみる。

http://www.joyus.jp/message/cat68/0015.html

そこには麻原やその家族の神格化はおかしい、彼にはなにがしかの超能力があったかもしれないが、しかし人格的には劣っていたという論理が書かれている。

そして側近であった我々は身近に人間・麻原を見ているから洗脳はすぐ解けるが、末端の信者は神格化・超人化された麻原イメージしか見せないように操作されていたためより洗脳が強いということだ。

そのため、神格化はおかしいと説明したが、大多数に受け入れられず追い出されたという話し。

これは説得力のある解説ではなかろうか。麻原は人格的に劣り、間違った思想をもった教祖であった、その認識がまず絶対に要るはずであり、それを現Aleph信者は経ていないという意味で危険なのだ。

そしてそれを訴えれるのはやはり上祐や、すでに逮捕後脱会した幹部達にしかできない仕事だと思う。

上祐らの言によれば、現在麻原主義で原理主義化して教団を主導しているのは、正大師(上祐ら)、正悟師(青山弁護士など)よりもっと下の師クラスの人間らであるという。真の麻原の俗物を知る人間には一生かけて彼らの洗脳を説く義務があると思うよ。


上祐教義論を見ると、超能力なんてものはあるひとにはある生まれもってのものでしかなく、あるかもしれないけど、会得できない人もいるだろう、しかしそんなものはあったにしても崇めるものではない、信仰の目的はそんな下世話なところにはない、というもののようだ。

彼やひかりの輪が本気でそういう思想で居るのかどうかは議論分かれるところだろうが、この教義になるのなら、問題は無い。

麻原主義の復活がくすぶりつづけるという意味で常に警戒すべき存在ではあるだろうが、表立って麻原批判と超能力信仰の否定を掲げているので、これに同意して入信するのであろうし、このままなら内部でも反麻原思想の教学が洗練されていき、主流になろうと思う。


上祐も言っているが、単に「麻原に超能力なんか無い!ペテン」と信者に言っても選民思想にはまるだけで洗脳は解けないというのはうなずける部分もある。

そうでなく、超能力なんてあってもなくても関係無い、また超能力があったからといって人格的に崇高かどうかは別の話しという彼の論理は、さすがに信者だっただけあっていいとこ突いている。

超能力の相対化、超能力信仰の否定というのは正しいと思う。


超能力得る修行があってもいいさ、修験者も荒行やってるさ。

問題はその宗教の理念、求めるものが「大乗」でなく「超能力」になってることであろう。

滅び行くインド後期密教が、大乗的な慈悲という思想が抜け落ち、現世利益の呪術かのように変質していった失敗は参考になるだろう。

「超能力」なんかを求めるのを究極の目標にするのは、現世利益を目的とする祈祷師と同じレイヤーにすぎず、俗も俗な低レベルな目標としか言えません。

そんなものより崇高なものが仏教にはある。超能力得るより、慈悲により困った人を助ける凡人のほうが尊い。

いくら超能力あろうと、そんなものはくだらないし、それをもって神格化して崇めるようなものではないのです。カール・ルイスが足速いみたいなもん。そうですか、すごいねで終わり。

サリン事件を麻原は慈悲と言ったが、本当にそうか?麻原が言ったらなんでも正しいのか?自ら考えることを放棄した堕落を彼らは反省すべきだ。

ブッダの言ったことですらほんとにそうか?と疑い考える、そうでなければ仏教徒では無い。常に己で観察し、考える。それが仏教。

真に仏教の一派と言い放つならば、幼稚なグルイズムにはまってはいけない。


ブッダの弟子への遺言は「人を師とするな。法を師とせよ」です。

法というのは仏教の根本理論たるこの世の法則。すなわち縁起の法。この世がどう連鎖しているのか、どう成り立っているのか、智慧を付け、よく知りよく考えてそれを師とせよというのです。

誰が言ったからだのなんだのに堕してはいかんって教えです。いいこと言うねゴータマの野郎!ってとこです。

ブッダに対してすらイイこと言ってんじゃん!と考えたからその言を受け入れるのであって、盲信してはいけない。それが仏教的立場ってもんでしょう。

人から言われるんでなく、己で考えて切り開いていく。師はその参考でしかない。追従すべきものではない。それが仏教徒の正しい生き様です。


Aleph(オウム真理教から改名)

http://www.aleph.to/

野田成人Blog(上祐後新代表になったが、主流派からハブられてる人)

http://alephnoda.blog85.fc2.com/

ひかりの輪(上祐派新団体)

http://www.joyus.jp/hikarinowa/


オウムっ子はもっと広く仏教を、できれば仏教だけでなくキリスト教もイスラム教もなんでもかんでも勉強してみたらいいと思う。

麻原やらは仏教を標榜して、チベット密教やインド哲学、テーラワーダの権威までもを利用して仏教の真髄のようにキミらを化かしたと思う。けどその実、どれだけ仏教をキミらは学んできたのか。キミらが仏教と思ってきたものは麻原教でしかない。あなたがたは仏教を何も知らない。全て知った、超越したかのように思うのは驕りでしかありません。

ヨガによる超能力開発にばかり目を向けず、もっと仏教そのものについて興味を持ち、知識が広く押さえれていたら、きっとオウムなんかにひっかかってないと思う。

極論すれば、麻原は仏教を権威付けに使ってただけにすぎんよ。彼の超能力理論の箔付けにすぎないことが分かってくると思う。

あなたがたはそういう権威にひっかかった権威主義者。胡散臭い祈祷師にはまる人と大差無い。権威なんか仏教とは最も本当は縁遠いものであるというのに。

仏教というのなら、まず権威を否定してください。なにまだグル神格化なんかやってんですか。上祐がこの点については正しいよ。(犯罪者上祐は決して認められるべきではないが)

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