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2009年2月 2日 (月)

Ajitaさんは大乗経典を曲解しすぎ(Ajitaさんの読解力の無さを訂正する)

Ajitaさんはほんとうにどうしようもないな。

またまた変な大乗経典曲解で語ってるよ。


観音さまはどこから来たの?(ragarajaさんの「読んだふり」誤解を訂正する)

http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090202/p1


>他の諸菩薩の出自と並んで、「観世音菩薩等は、他方の仏土より来れり。」と明言してある。

>これで、id:ragarajaさんが原典を読まず、いい加減なことを語ったことが証明された。

>さらに言を左右にするならば、うっかり者にとどまらない「不誠実な人間性」を自ら吹聴することになる。


それのどこが観世音菩薩が法の化身という方便でしかないということを否定するのですか?

「他方の仏土」というのはこの世ならぬ仏の世界って意味ですよ?

人間でなく法の化身としてあると書いてるに他なりません。

阿弥陀仏が西方にあると信じられた死後の世界、すなわち極楽浄土を司ると考えられたようなもんです。


ほんとうに読解力が無い。

『大智度論』なんて和訳もネットでいくらでも見れるでしょう。みなさんもぜひ読んでみてくださいな。

単に彼が大乗否定のバイアスで曲解してるだけですよ。


仏土より来る」という意味くらい分かってから大乗語ってください。

仏土というのも民俗的なものとしてあった信仰ですが、結局のところ、この世とは違った仏の世界があって、そこを憧憬する思想です。

仏法の化身として観自在があるという意味に他なりません。

これを読んで観自在が通常の人間のようなものとして考えられていると捉えるというのは、あまりにもどうかしてるでしょう。


例えば華厳経で、善財童子が文殊菩薩に導かれ、いろいろな場所を旅して成長していく有名な物語がありますが、これを「文殊菩薩なんて居ない!」と叫ばれても困惑するばかりなのです。

どう見ても法の代弁者、法自身として文殊菩薩が登場し、その法の導きにより菩薩の道を成長していく、仏教者としてのありかたを説いた経典です。


般若経の発展たる、理趣経などにもなればより顕著で、密教経典らしく数々の菩薩や薩垂が登場しますが、それぞれの人格が法のそれぞれの要素を宣言し、各々がそれぞれ法の各要素の方便としてあることが分かります。

経典は人物と人物の対話劇として描かれていますが、それは単に物語仕様という伝統的な経典のフォーマットに従っているだけにすぎず、中に出てくる人物=実在というのは大乗の諸経典を見たとき、ありえないことです。そのようにそもそも書かれていない。


般若理趣分に起源を持つ理趣経をあげるまでもなく次々書かれる諸経典においてもそのような菩薩観があります。

般若経においてもそれは同様です。

仏土より来るという記述自体が法の体現者、法の化身としてあるという意味なのに、なぜそれが読解できないのかちょっと理解に苦しみます。


>「自ら考える」ことと「自分勝手に考える」こととは、慎重に峻別されなければならない。

id:ragarajaさんにその自覚があるようには、どうしても思えない。現代人の価値観がへばりついた「自分」を横に置いて客観的に考える能力(如理作意)は、努力もせずに身に付くものではない。

>我々は自分自身の「考える」プロセスに潜むバイアスに警戒しながら、資料に即してものを調べる訓練をしなければならない。


自分勝手に考えられないようでは仏教が分かっていないと思います。

そのような先入観や権威にがんじがらめになっているということは、要は執着であり、仏教とは最も縁遠い。

全ての権威を否定し、全てフラットに見聞きできる姿勢こそが仏教的態度でありましょう。

もちろん己にこびりついたバイアスはそうそう払拭できるものではなく、それを注意しながらやりくりしていこうという姿勢は正しいし、同意でありますが、

同様にテーラワーダに権威を感じて、ゆえに信ずるではいかんのです。それすらもフラットに捉えて、学べるものはなんでも学ぶという姿勢こそが大事ではないでしょうか。


私はテーラーワーダから学ぶことも多いと思いますし、外道とされたインドの非仏教思想からすら学びうると思います。キリスト教やイスラム教からも学べるでしょう。これまで真宗は否定してきましたが、最近は真宗思想の中からも学びうる部分があるなと考えてきています。

テーワワーダの思想は、我々の仏道の先輩諸氏の練り上げたものです。貴重な説であり、学ぶに値する思想でしょう。しかしそれはあくまで他人の考え。参考以上のものではありません。

師が言ったから正しいのだ、もっと言えばブッダが言ったから正しいのだでは困ります。そんなのはほんとはどうでもいいのです。

あなたのこれまで言ってきた論理は、極論すれば、テーラワーダはブッダの説いた説を正確に伝えたから正しい、大乗は経典を創作した糞であるというはなしでしょう。そんな幼稚な思想に堕してはいけませんよ。

変な権威主義は眼を曇らせるだけです。



>断章取義を勝手な思い込みでループさせて居丈高にくだを巻くくらい、酩酊したバカにもできる。酩酊者の言説を真に受けて、智慧が生じるという法はない。


そのまま全部お返しします。

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