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2009年2月 5日 (木)

大乗仏教の基層はジャータカにあり

こちらのコメント欄でちょいとAjitaさんなどと仏教史論になったんですが、あんまだらだらやっても悪いんでTrackbackすることにして、大乗の起源についての考えをまとめてみたいと思う。


封印していた仏教をちょっと書いてみました

http://d.hatena.ne.jp/kumarin/20090203/1233650338


大乗仏教はここ最近はマトゥラーなどの仏塔文化を支えた商人など在家階級が原動力となり生まれ出でたという定説が主流となっていたと思います。(仏塔起源説)

その前は大衆部起源説が主流でした。(…というか大衆部起源説と仏塔起源説は実は通じているような気もしますが、これはまたのちほど)

一方最近、これに反論する伝統派出家教団起源説という、あくまで部派の主流から生まれ出たもので、在家は重要なかかわりをしていない!というものが出てきてます。Ajitaさんのようなテーラワーダの人はこれを熱烈支持する傾向がよう見られますね。


出家起源説はあくまで経典の理論から読みとく意見であると言えます。

仏塔に出家者からのものもあるから、というのも同時にありますが、主にその大乗経典の教えから部派から生まれたとする考え方。


ですが、私はこれは間違いで、もっと遺跡や碑文、美術など重視する必要があると思います。また大乗経典の変遷史というものも流れで捉えなければならないのではないかと。

それと玄奘や法顕といった中国僧の紀行文から読み取れる客観的な当時の様子なども重視しなければならないと思う。


大乗経典が部派の伝統的論理が見られるから部派起源では短絡的すぎると思う。在家集団が作った原始的大乗経典を、大乗理論の伝統部派で波及の経緯の中で経典らしくどんどん表面を綺麗にこしらえていったとも考えられるわけです。

法華経にしろ般若経にしろサンスクリットの原典やらなんやらいろんなバージョンが出てきたりし、大乗経典も今日のようにいきなり生まれるのではなく、時代を経て整備されるし、また派閥や地域性ごとに違ったバージョンがあったりするわけです。そういった流れを重視しなければならないだろう。


そして大乗経典の源流がどこにあるのか?と考えたとき、それはもうジャータカしかありえないわけです。

「ジャータカ」とはなにかといえば、ブッダの聖人譚で、昔話的な習俗的な説話です。

ブッダの前世での事件やらなんやら、いろいろなお伽話が作られます。またこの文化の高まりのなかで、数々の高僧らの聖人譚もジャータカとして民衆に好まれます。

聖徳太子や弘法大師の聖人譚や超人譚がおはなしとして後世に信者に好まれるようなもんです。

ブッダが死んでから何百年も経ってるわけです。その間にはみなから聖人と慕われた高僧も数多く居たでしょう。我々が鎌倉新仏教の開祖らの話を伝え聞くようなもんです。日蓮にしろ法然・親鸞にせよ、そんな聖人譚には事欠きません。そういうようなもんです。

まあ要するに、「ありがたい小話」的なものです。

日本で言えば『今昔物語集』なんかがニュアンス近いかもしれない。仏教に関したいろんな僧の説話なんかが教訓話的にいっぱい入ってますが、あんな感じ。


大乗を決定付ける要素として、利他の精神を貫く「菩薩」の存在がありますが、これら菩薩思想はまさにジャータカに繰り返し好まれ使われる題材そのものなのです。

利他で自己犠牲をする過去の聖者譚とか、そういういかにも民衆に好まれる小話です。


そしてこのジャータカ、仏塔に多く描かれ、仏塔文化と不可分な存在です。

仏塔にてジャータカを前に絵説き説法をした導師的な者らが居たであろうと言われています。

このジャータカ文化が大乗理論へを再編されていくのです。


ジャータカと菩薩の思想の起源の関係についての研究は

『菩薩—ジャータカからの探求』(ISBN:9784831310095)なんかが図録いろいろ用いて通して見るにはいい書籍かなと。

あとはジャータカ図はむしろ博物館のガンダーラ・マトゥラー遺跡展なんかの図録が参考になるかも。



大乗経典というものも、テーラワーダのパーリと同様、古層と新層があると考えられています。

日蓮なんかは法華経のちょっとした「ある菩薩の聖人譚」のようなものは軽視し、逆に信者達の後世の付加であろう「法華経を信じればこんな功徳がある!」とか「苦難にあっても信仰せよ!」みたいな部分を重視してしまいましたが、

実は逆で、そのジャータカ的な部分こそがその古層であろうと考えられます。


例えば法華経の常不軽菩薩品とかジャータカ丸出しすぎです。

思い上がった僧たちが跋扈する時代、常不軽という修行者がバカにされる話です。どんなものに対しても「あなたを尊敬し、軽んじることはない」と言い、「あなたにも菩薩の道を究め仏になることができ、尊いお方です」と人を礼拝して言うので常不軽と言われる。

しかし思い上がった僧たちから疎まれ、人々は棒や石で打ち付けます。それでも礼拝をやめず、常不軽とバカにして呼ばれるのです。そして報われないまま死ぬ。

しかし常不軽こそが来世で仏に成りうるものだったのであり、石で打ちつけた者達は地獄で苦しむ者であり、今のあなただと説く。そして今地獄を経て現世にあるあなたを常不軽が再び救おうとせんというお話。

これとかすっごいジャータカ臭いです。


一方の般若経も同様で、もっとジャータカ臭いものが本来の原型であろうと考えられます。

つまり、大乗経典はジャータカの編纂のようなものが原型であろうと思われるのです。

その後、大乗理論は流行し、伝統的な部派の教団でも兼学されていきます。その中でどんどん洗練され、今日のようなものになっていったと考えられます。



このジャータカ文化を支えたのは、やはり大衆であり、その中で絵解きなどの導師として関わった出家僧も関与は当然あるでしょうが、大乗思想は慈悲の聖者の小話としてのジャータカを好む民衆の中で醸造されていったと考えられるのです。

特にその根幹たる「慈悲」を仏の道という「菩薩」というものは、ジャータカに元があると考えられます。


ジャ−タカを好んだ人々が集まるジャータカ文化の隆盛地は、やはりマトゥラーでしょう。大乗仏教の萌芽を生み出した土地でもあり、大衆部が目立つ地域でもあります。


マトゥラーの来歴を考えるとき、重要視しなければならないことは、この地が非アーリア的要素を強くもち、国家中央の文化と完全に異質な地であるということです。

マトゥラーでのヤクシー信仰の突出ぶりは特徴的ですが、これはすなわちアーリア侵入以前のドラヴィダ人の文化習俗を強く残す地域であるということです。また、アーリア的価値観としてはカーストとして決してよい待遇ではない人が多くいたはずです。

マトゥラーの仏塔の寄進を見ると、在家の寄進が多いだけでなく、部派、それも大衆部がこの地域に多いことが分かっています。

また、それだけでなく、ジャイナ教の寄進塔もやたらと多い。

明らかに中央と文化圏が違う、カウンターカルチャーがそこにあると考えられます。


インド仏教は、もともとシャカ族のブッダがシャカ族の王子たちを多く率いてできた宗教で、アーリアの伝統的価値観を軽視する文脈にあります。

ですが、死後はマハーカッサパが長老になり、「アーリアの仏教」へと変遷していったと考えられます。

シャカ族が劣った者たちなどと、シャカ族への攻撃などもパーリには見られます。実際問題として、シャカ族のアーナンダは首を傾げたくなるほど中傷されているように見えます。

アショカ王が国教としてからはそれが決定的になったと同時に、国家認定の権威化をしていきます。

例えば経典を見れば在家でもなんでも真の教えを理解すれば悟れるはずなのに、出家僧だけしか悟りえないというようなことにも時代を経てなってゆきます。

そういう国教会の権威化への反発が法華経の常不軽菩薩品の僧が思い上がってるうんぬんにはあるように思います。


大衆部自体が、そもそも戒律を巡る上座部との分派の経緯で、大衆部を分けたのはヴェーサリーのヴァッジ族であると名指しされているように、そういった非主流の部族社会が国教への反発としてありますし、

そういう大衆部や、国教となった仏教に組しないジャイナ教が強いマトゥラーは、インド・アーリア国家へのカウンターカルチャーの地なのです。

今でもアフガニスタンの奥地は部族社会で国家の統制などききませんが、そういう部族社会がインドにも健在なのです。それはパーリを読んでも異文化の部族社会が多々出てくることでも分かると思います。


そうして、常不軽菩薩品が言うような「思い上がった僧」たる権威を貪る国教系仏教への怒りと失望があるとき、

目の前には昔話と言えど、利他の聖人達の物語がジャータカとしてあるのです。

そういう聖人譚に描かれる僧侶のような生き方こそが、本当の僧ではないのか?真のブッダの理想ではないのか?

そういう思想が生まれることはなんら不思議ではありません。


そして利他の菩薩行こそ必要!という国教系への反発から原理主義革命として大乗が生まれます。

最初は特に利他の菩薩のジャータカを集めて編纂したようなものが原型だったのでしょう。

それをジャータカ説法師が絵解きや、語り歩いていく中、経典のように1つのまとまりとして地域ごと、集団ごとになっていく。それが般若経や法華経の原型でしょう。

作者が不明というのは当然なのです。どんどん尾ひれのついた伝承の昔話を再編したようなものですから。

そのムーブメントの帰結として、それに共鳴する部派僧も増え、経典として洗練が進む。

そういう流れが、ジャータカと大乗経典の古層を見たとき、うかがい知れると思います。


仏塔説にしろ、部派説にしろ、その前段階としてお伽話としてのジャータカと、それを担った人々という視点が軽視されがちと思います。

本来の平等思想から離れ、権威化、カースト化する中、非アーリア的文化圏の国教と距離を持った人々が、ジャータカに見られる利他の僧たちを憧憬し、そこに理想の仏教者のありかたを見たのでしょう。

大乗が非アーリア的文化圏に生まれてくる背景には理由があると思います。

パーリのシャカ族敵視に見られるように(つまり対立派閥があることを示唆している)、アンチアーリア仏教的な流れが部族社会の中温存され続けており、それが大衆部を生んだのでしょうし、またのちの時代には大乗を生んだと考えられるのです。


必ずしも大衆部=大乗では無いでしょうが、大衆部を保持した文化圏は、明らかにパーリ文献が敵視しているであろう、主流とは異なった部族社会の地域で、対立派閥の文化圏です。貶められたアーナンダを継ぐ者たちと言えるかもしれない。

(なお、法顕や玄奘によれば大衆部を担ったヴェーサリーのヴァッジ族は、アーナンダを厚く崇拝していたという)

そういう地域であるからこそ、バラモン教の権威に重きをおかない文化圏から仏教が生まれたように、数百年のちにアーリア仏教の権威に重きを置かないゆえに大乗を生み出しえたのです。


そんなわけで、仏塔説は大筋では間違ってないと思います。

仏塔というよりそのジャータカ文化が重要で、また異文化圏という地域性も大きく関わっているのでしょう。

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