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2009年2月 4日 (水)

あびこ観音行ってきました

節分の厄除けで大阪では有名な『あびこ観音』に行ってきました。

つってもチャリンコですぐ行ける距離なんで、仕事先(家から数分、しかし最近在宅作業が多い。自営業者です)に行くついでにそのまま向かってみました。

実は近所ですが、これまでTVのニュースでは見るものの行ったことなかったのです。

ご近所のおばちゃんが毎年行って、我孫子の和菓子屋の名物の厄除け饅頭買ってきてくれはるのもあるし(かなりうまい)、たまたま我孫子周辺通りかかって、露天や参拝者でごった返しで難儀した経験も何度もあるし、馴染み深いのですが、私自身は一切行ったことなかったのです。


観音信仰健在を感じましたね。

つっても大半の人は熱心な観音信仰の人なんかじゃなく、無病息災・厄除けの大阪の地元のお祭りって感じでしょう。

田舎の観音信仰の寺院とか行くと、ものすげえガチな観音信仰なかたがいっぱいですが、ここはそんな感じの人以上に、地元の恒例行事的にあるように思います。(隣のおばちゃんが観音信仰者なんてことは絶対に無い)


今宮戎の商売繁盛の十日戎が別に熱心な信者に支えられてる感では全くない、もっとポップなお祭り感覚であるように、ここの節分のイベントは気軽でよいと思います。

山奥の観音堂とか行くと、たまに物凄い熱心な観音信仰のおばちゃんとかがお堂の前で手を合わせながら大声上げて「ありがとうございます!ありがとうございます!」とか叫んでたりするのにかちあって、こええ!とか思うことありますもん(笑)

あびこ観音くらいの普通の人々に支えられた穏やかな習俗としてあるほうが、微笑ましくてイイですよ。



ここで、あびこ観音の概略をまとめておこう。

正式名称は吾彦山大聖観音寺。本尊は聖観音。(わりと各種ある観音でも聖観音が本尊って少なくない?)

創建は546年。めっちゃ古い。開基は聖徳太子とされているそうな。そんで日本最古の観世音菩薩の寺院とされてるそうです。

江戸時代にはめちゃめちゃ信仰集めてたそうな。境内も今以上に凄い広かったようです。しかし明治に火災に合い、多くの寺宝が焼けてしまったとのこと。その後再興しますが、廃仏毀釈の時代ですから、規模がそこで小さくなったのではないかと思います。

546年とか、最古の観音寺院というのは今始めて知りました。あれそんな由緒正しかったのか。

じゃあやっぱ参拝者の中にはガチな観音信仰者もいっぱい居るのかな?

(が、地元人が行くのは初詣みたいなもんでたいした信仰は特に無い)

公式サイトは無いようです。

こちらの寺紹介サイトに少し情報が。

http://www.bukkyo.net/abikokannon/

あとWikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%81%96%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%AF%BA


以下写真。あんまり参拝客写りこんでないけど、ようけ賑わってます。


あびこ観音1


ちょうど山伏姿の方々により護摩加持が行われていた。

剣をあてがい、「臨兵闘者皆陣烈在前!」と厄除けやってもらってる人もひっきりなしに居た。


あびこ観音2


あびこ観音3


あびこ観音4


こちらは大日堂。


あびこ観音5


2月1日~7日 節分厄除大法会だそうです。

一週間やってるもんとばかり思ってたが、Wikipediaによれば厄除護摩加持祈祷 は2月2日~4日だけらしいので、4日に行っていろいろ見れてよかったのかもしれない。


朱印も貰ってきた。

「厄除観世音」の文字であった。もしかしたら節分厄除大法会だけで、普段は聖観音なのかもしれない。

(あ、やっぱこちらのサイトの朱印見ると、聖観音になってる。http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-1/newpage704.htm)

あびこ観音 朱印




あと込んでたのでなんなのか詳しく見れなかったので、また今度と思ったのが「金辰殿」。あれは何を奉っているのだろう?

商売繁盛の提灯がぶらさがってて、それゆえに大人気で人が集まってて、あんまり寄ってじろじろ観察できなかった。

ググりまわすと、大阪歴史博物館のサイトがひっかかった。どうやら龍が祭られているらしい。

http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2008/shinshuzo_ryu.html

大正時代の職人、穐山竹林斎作「龍自在置物」という名品が収められているらしい。

(もしかしたらこれは金辰殿の本尊ではないのかもしれないけど)


本尊や来歴についてはこちらのサイトが詳しく書いてくださっていた。

http://plaza.rakuten.co.jp/mariamaria/diary/20090123/

この地に住んでいた依網吾彦の一族が、百済の聖明王から小さな観音像を贈られ奉ったのが元で、それをのちに聖徳太子が大寺作れと命じたという来歴だそうな。

これが本当なら、これってつまり、日本書紀にも載ってる仏教伝来の記述、百済の聖明王が金銅の仏像と経典を送ったとありますが、まさにそういう仏教伝来時代にまで遡る由緒となります。

この小さな(約8cm)の観音像は年に一度、2月1日に公開されるそうです。

また、本堂の本尊である聖観音もまた普段は公開されていないが、毎年2月3日に公開されるとのこと。

ううむ、知るのが遅かった。まあ近所だし、来年は見に行ってみよう。



あと気になったのが、あびこ観音のすぐ西にある神光寺というお寺。ここも節分法要をやっていて、同様に山伏姿のかたがたが護摩を炊いて、参拝していた。

ここは本山修験宗です。本尊は神変大菩薩、すなわち役行者。

一方あびこ観音は独立して今は観音宗を名乗っています。まあ京都の有力観光寺がよく独立宗派としてやってるようなもんでしょう。

あびこ観音でああいう法要があるというのは神光寺との関係であるのかな?

詳しくは知りませんが、両者は一体というと怒られるのかもしれませんが、近しい関係にあるように傍目には見えました。

つまり、節分法要の修験者らしき方々は、神光寺から派遣されてるんじゃろか?と。

中世にはよく寺での行事で境内内にある神社や近くの神社から神官が来てそういう法事を行ったりするものよく見られた光景です。そういうような関係に両者は古来からあるのじゃろうか?と

[追記]コメント欄にあびこ観音のかたより情報いただきました。

あびこ観音の修験者は、「吾彦山大聖観音寺 観音宗修験道 吾山派本流」という流派を名乗っており、独自に寺直属で講組織があるそうな。

一方の神光寺は、宗教法人名簿では本山修験宗とありますので、全く別の組織、宗派となっていて交流があるものではないようです。

あびこ観音の節分護摩をやってるのも、観音宗修験道 吾山派本流の修験者ということです。

神光寺でも節分法要をする近くでやってますが、あちらはあちらで本山修験宗の神光寺の修験者が行うものということでしょう。

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