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2009年6月26日 (金)

野崎参りは無縁仏供養のイベントである

無縁仏供養の伝統の話を先にしました。

無縁仏供養が功徳になるという発想は江戸期にありまして、伊勢講じゃないけど、無縁仏講みたいなもんまであって、無縁仏名所みたいなおかしなことも発生していたわけです。

まあ江戸人の御利益大好き信仰の流れにあるはなしなんでしょうけど、それだけじゃなく同時に先人に感謝!というまっとうな意識も当然あるわけです。


僕は寺巡りして、無縁仏ピラミッドとかあると、積極的に寄っててナム~とわりとするほうなんですが、ヤな顔して避ける人が多そう。死者は祟る式の考え方はどうかしたほうがいいよ、ほんと。

先人に感謝!あんたらが居るから今の我々があるってな感覚でナム~でいいんじゃないでしょか。

祟るから祀るじゃ、それこそ不敬なんじゃないかとすら思います。


神道など日本古来の祖霊信仰でも、死霊は祟るのでなく、祀ると守ってくれるありがたいもので、感謝の対象なのです。祖霊は山に帰り村の守り神になると考えるのです。

祟るから金出せ、霊障だ霊障だなんて霊感商法は、仏教ではもちろんないだけでなく、神道など日本の祖霊信仰の伝統の観点から言っても異端の発想です。

私は仏教徒ですから仏教的な立場でいろいろ霊感商法を否定してますが、仏教徒でない人にとってもやはり変な思想と思いますよ。


そもそも僕が幽霊を怖がらないのもあると思います。幽霊って人の魂って定義なんでしょ?そこらのおっちゃんおばちゃんが怖いかい?同じじゃん。恐れる理由がわかんない。

幽霊が霊魂だというなら、オレの中にも魂あるはずで、別段負ける要素が無いではないか。少なくともイーブンだ。変な霊障とかで脅されてビビらず、自分に自信を持ちましょう。

その脅える心は、外のなんらかに対する恐れでなく、あなたの心にある弱みに対する恐れです。自分に自信があり、一点の曇りもなければ幽霊などを恐れるはずがない。何かされるんじゃないか?というのはあなたが弱点を抱えているからなのです。

それを克服することで対処すべきで、霊能者はそこを決して埋めはしません。



墓から逃げるな!恐れるな!というのを言いたいですね。

そういう弱い心が、自称霊能者に付け入るスキを与えるのです。

むしろもう寺巡りに飽きて、お墓巡りしたい気に最近なってます。

近世の無縁仏供養巡礼をひとり復活させようかと最近思ってます。

ガンガン人が寄り付かない、オカルト者は恐れまくるような寂れた無縁仏のお墓に行こうと思うのです。

そんで線香でも焚いてまわりたい。そんでそういう文化を広めたい。

そしたらきっと霊障を煽って心の弱い人を食い物にする連中は居場所無くしていくと思うのです。

墓をもっとカルチャーに!


さて、江戸期無縁仏カルチャーといえば、ほとんどそれがそうだとはもう知られてないけど

有名な野崎観音の野崎参りというお祭りは、あれは無縁仏供養のイベントなんです。

なんか野崎参りつって行楽やお祭りになっちゃってますが、あれは無縁仏法要なんです。

http://www.nozakikannon.or.jp/

最近では野崎観音もサイトの説明見てもそういう部分隠そう隠そうとしてる香りがしますが、そりゃ違うだろう。

野崎参りははっきりと無縁仏の供養イベントとして元来あったもんです。

もちろん行楽という一面もあるんですが、同時に無縁仏供養の功徳みたいなもんがはっきりあったと思います。

なんか今の野崎参りは、何のための何の祭りなのかよーわからん。コンセプトはっきりさせたほうがいいんじゃないかと思うんですが、

最近の人らは無縁仏供養の功徳とかそういうのより、無縁仏コエ~というほうにいっちゃいがちなんかなあ?

野崎観音の謎 隠れキリシタンの寺か!?

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