« [宗教][民族]龍王宮の管理人さんは急逝されていた | トップページ | 菩薩面という仏教美術 »

2009年8月22日 (土)

日本仏教の多様性は昔から

Ajitaさんの記事

日本仏教の多様性とは?

http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090822/p2

要約すると

「現代日本仏教では教えの正当性うんぬんを言うのはおかしいと言うが、これはテーラワーダの脅威に対して言ってるのである。

しかし現代の日本仏教の諸派は教えの正当性を争った結果としてあるのであって、教えの正当性を言う現代テーラワーダは「運動としての日本仏教」の本流に位置していると云っても過言ではない」

…って御意見。


これはどうなんだろうなあ。

まず教えの正当性うんぬんは、テーラワーダ関係無いのでは~。それ大乗の人から論争かなんかで言われたのかな?

まず大前提の日本仏教の正当性議論をうっちゃる論説自体がどれを具体的に想定しているのかよく分かりませんが、こういうのって、浄土系、念仏系の宗派が言うのじゃあないかな?あくまで日本仏教の宗派間の議論のはなしででてきそうな話のような気がするのですが。

そこまで日本仏教が危機意識感じるほどテーラワーダって日本じゃ地位作れてないっしょ。


だってテーラワーダ対抗だと、正当性うんぬんというステージで論争できちゃいますやん?

現代のテーラワーダは別に釈迦が当時説いた内容そのまま伝えてるもんでもぜんぜんないですし、大乗って部派の堕落を嘆いて生まれてきたものですし、普通に考えたら正当性論争したら決してテーラワーダが正当となるもんではないです。少なくとも大乗教徒はそう考えては居まいと思います。


あと宗派間融和ですが、昔から論争しつつも相手を認めて学ぶところは学ぼうという文化は日本仏教にはあると思います。(ついでに言うとインド仏教にもかつては大乗小乗兼学の文化があった)

そもそも日本人にとって仏教とは、遠く離れた天竺の話なわけです。それが伝聞で中国へ渡り、朝鮮に渡り、日本に渡ってきていることは自明なのです。

そもそもからして経典というのは諸派による伝聞にすぎないというのは既にみんな理解されていた話なのです。

明恵が釈迦の足跡を探しに天竺へ行こうとしたことからも分かると思います。絶対視していない。


あくまで経典はいろいろなバイアスがかかってるものであり、また読み方次第でも解釈如何様にもできる、だからこそ研ぎ澄まして読み解いて真理に近づこうというのが、日本仏教の伝統的立場なのです。

ですからいろんな読みかたが出てきて、浄土宗だ日蓮宗だといろいろ当時の時代からしたら異端ともいうべき経典読解が生まれうるのです。

経典絶対視をそもそもしていないとも言えようと思います。参考にはなれど大蔵経を見れば矛盾するようなものもたくさんあるし、解釈で自らで紡ぎだす必要があるものであったわけです。


ですので、異端的読解にも、一定の権利が生じやすい。

自らの宗派が絶対で、他が必ずしも間違ってるという確証がなかなかもてない。もしかしたら相手側の中にも見るべきものがあるかもしれない、学ぶべきところがあるかもしれないという考えがある。

先にもあげた華厳密教の明恵は宋から戻った栄西に教えを請いに会いに行き、交流を深めます。これなど日本仏教の伝統的にある考え方であろうと思います。

八宗兼学をかかげる天台宗が中世日本仏教の主流を成したという歴史も鑑みる必要があろうと思います。

天台宗以外でも、天台、東密(真言)、禅、浄土、律の五宗兼学の泉湧寺とか廬山寺といった学問寺の伝統もあります。


すでにブッダは居ない、法を師とせよという遺言に添って、堕落した部派仏教とは違う真の仏道を探ろうというのが日本仏教に限らず、大乗仏教自体の立場であろうと思います。

それゆえにインド後期仏教の性儀式のようなおかしなところまでいく例もありますが、このベクトル自体は「すでに正しい教えは伝わっていない」という立場に立てば妥当なものであろうと思います。


つまり、「既にブッダ存命時の教えは失われている」というのが立ち位置なわけです。明恵の行動などその前提に基づくものです。

現代のテーラワーダ仏教は、逆に「ブッダの教えは我々に正しく伝わっている」という立ち位置であるので、この立場が理解できないのでしょう。

経典は貴重な文献ではあるが、それを頭っから信じきってるわけでも全てとも思っていないのです。

そうであれば、自分と違う宗派であっても、それを頭ごなしに否定しうる確信も当然無いし、慎重にそれを見るということになることは必然でしょう。


融和とは、今の立ち位置が全てと思っていないということの裏返しなのだと思います。

常に向上を目指すという意味では、極めて正しい考えではないかと私は思います。

こういう考え方は兼学道場の伝統や、ボーダレスな勉強をする文化を思えば、別に今になって生まれたものでは全くないでしょう。常にずっとあったものです。

もちろん強烈な排他思想で信心に盲信するような流れもありますが、日本の仏教史を俯瞰して眺めた場合、それはむしろ異質なものであろうと思います。(荘園巡って戦争とかはまた別の話)

« [宗教][民族]龍王宮の管理人さんは急逝されていた | トップページ | 菩薩面という仏教美術 »

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1809125/48417590

この記事へのトラックバック一覧です: 日本仏教の多様性は昔から:

« [宗教][民族]龍王宮の管理人さんは急逝されていた | トップページ | 菩薩面という仏教美術 »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック