« 『魔術的芸術』 | トップページ | 真言宗臼杵山天光寺って? »

2009年11月21日 (土)

現代の隠れキリシタンの様子

日本におけるローマ・カトリックと、プロテスタントの信者比率ってどうなってんだろう?

Wikipediaとか見ても、項目によって資料が違うのか、数がわりとまちまち。わりと拮抗しててプロテスタントがちょい多いかなーくらいのデータが多いようです。

とはいえ、圧倒的プロテスタント国になってる隣国韓国などとは違って、どうやらカトリックが十分な勢力を持っている国であるのは事実でありそうです。


キリスト教の解禁は明治で、プロテスタント諸派の布教活動が熱心であったし、戦後のGHQ政策なんかICU国際基督教大学の設立過程や、皇太子にキリスト教教育をしたり、明らかに狙ってプロテスタント化をしようとしてますから、本来アメリカとの関係上圧倒的プロテスタント国になってそうなもんです。

戦後韓国が圧倒的プロテスタント国になったのも、まさにそういうことなんでしょうし。


このカトリックが頑張ってるルーツのひとつに、やはり戦国時代にイエズス会が広めまくったカトリックの影響があるのではないかと言われているそうです。

隠れキリシタンは、明治の解禁で多くがカトリック復帰したそうで、そうなるとカトリックがスタート時点から幅を利かしてることになるわけで、そういう土壌の流れにやはり現在のカトリックの強さはあるのではないか。

長崎がやはり今でも圧倒的にカトリック者多いみたいですが、隠れキリシタンの土壌は当然関係あるのでしょう。。

フィリピンなんかでもアメリカ支配が長かったけど、スペイン統治時代のカトリックが圧倒的優性ですし、先行する意味は大きいのだろうと思います。


さて、江戸期に隠れキリシタンになってたかたがたですが、明治になってカトリックに戻ったかというと、必ずしもそうではない。

戻った人も多いのですが、全く違う「隠れキリシタン」という独自の宗教を貫いた例もあるわけです。


その理由としては、長い秘教時代を経て神仏習合様式になったり、もはやキリスト教と理解してない民間信仰として伝わってしまっていたり、欧米から再び宣教に訪れたキリスト教とは大きくかけ離れた様式であったことがあげられます。

用語の一つ一つ、賛美歌にしても、ポルトガル語読みですし(しかもそれをひらがなで!)、英語圏のキリスト教がやってきてこっちにしろと言っても軋轢が生じるのは無理からぬところでしょう。

かといって世界各地のローカル教会や派ののように、隠れキリシタンが組織化され、キリスト教日本派として1つの集団となるわけでもなかったわけです。

あくまで村の独自祭祀として残ったにすぎず、また進歩的なキリスト者からは間違いとバカにされ、後継者もどんどん減り、明治維新からえらい経った平成の時代にはもうほとんど残照しか残っていないようです。


キリスト教の日本人的受容・解釈というものがきっちり組織化され、理論化されてもよかったんじゃないかなあと思うんですよね。戦国期の日本キリスト者の思想とかそういうものも再検証して、日本人だからこそ欧米キリスト教に突きつけれる精神性があったのではないか。まあそこまで理論的な信仰様式が明治維新当時残ってたわけじゃあないんですけどもね。

素朴な神への祈りという美しさは尊重されるべきものではなかったか、と今になって禁教令が解かれたにもかかわらず廃れていった隠れキリシタンの歴史を見ると思うわけです。

賛美歌が何語かとか、様式がどうかとか、そういうことではないんではないか、もっと精神性に属する部分を見なければいけなかったのではないか。押し付けがましくない素朴な信仰心をもった、村々の名も無き民は十分に神に忠実だったのではないのか。

結局日本人の欧米崇拝というコンプレックス、欧米宣教師のアジアへの優越感といった明治維新後の先進欧米崇拝や啓蒙主義が隠れキリシタンをキリスト者として存続させえなかったという部分はあるのではないか。

結局こういう部分がキリスト教宣教過程で各地で十字軍にはじまり異教徒攻撃などを繰り返してきたところで、善悪二元論で考える欧米的な欠点であろうと思います。隠れキリシタンを遅れた奴らと見下すのでなく、我が同朋と抱きしめる愛がキリスト者には本当は必要であるのだと私は思います。

こういう部分において、日本人だからこそ欧米キリスト教に突きつけられる思想があったのでは?と民間信仰的にゆる~く習合した隠れキリシタンの素朴な信仰を見るに思うわけです。

具体的には隠れキリシタンが組織化され、欧米キリスト教学の影響も受けつつそれともまた違う、近代隠れキリシタン教ともいうべき理論・宗教を確立できればおもしろかったのではないか、などと夢想するわけです。



さて、そんな廃れいった隠れキリシタンですが、長崎には今も隠れキリシタンの島と呼ばれる生月島があります。

こちらにそこへ行って来たかたの紀行文があります。

http://yattemiyou.net/archive/kakure.html

現在の生月島にはカトリックも多いが、江戸時代の信仰を続ける隠れキリシタンの人もたくさんいるそうです。

キリシタンの神は納戸の奥にこっそり祭られていたので「納戸神様(ナンドガミサマ)」と呼ばれて祀られてきているそうな。

洗礼や殉教者崇拝や日本ナイズされた素朴な信仰が息づいてるようです。とはいえ高齢化が進んで衰退の一途であるそう。


書籍だと上記紀行文にも出てくる宮崎先生のこの本見ましたが、素人が概要学ぶのにはとてもよかったです。

『隠れキリシタン オラショ−魂の通奏低音』

著者:宮崎賢太郎

カクレキリシタン オラショ−魂の通奏低音

カクレキリシタン オラショ−魂の通奏低音


ここまでは主に生月島の話でしたが、サンデー毎日連載という以下の文章は他地域のことも載っていた

隠れキリシタン 450年目の憂鬱

http://www.geocities.jp/noa6171/works-b2001/kakure/kakure1.htm

五島列島などでの隠れキリシタンの講組織つーのかな?そういうのが廃れていく事例を丹念に紹介していっている。


こういうの見ると、ほんと風前の灯なんですね…

オラショを覚えて継ぐ人が居なくなったら、納戸神等はどこへ行くのだろう?

先人がシンボルにしてきた拠り所の御神体、粗末にはして欲しくないものです。

納戸神などの多くはイエスを抱えた聖母の画像や、マリア観音、メダイなどで、その他には浮世絵、人物画なんかを(別に本来それを描いたものではないのまで)キリスト、マリアということにして信仰するなどしたようです。


生月島博物館 島の館の2Fには隠れ切支丹の家や納戸神が再現されてるそうで、

こちらに写真が掲載されてますが、住まいの中では納戸神と共に神様、荒神様、御大師様、仏壇などが祀られてるそうな。

http://www.nakai.or.jp/wonder/tabi/hirado/cristao.htm




オラショについてはCD化もされています。

何言ってるかようわかんないけどところどころサンタマリアがどうたら出てきたり、一方で「奉る」とか日本語だったり

お経とか呪文みたいなもんなんですけども、なかなかおもしろい。

生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)

生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)

長崎・生月島のオラショ

長崎・生月島のオラショ


消えゆきつつある隠れキリシタン文化ですが、再評価してもっと保存が進めばいいなと思います。

私はこういう土俗的な素朴な民衆の信仰ってむしろ美しいものだと考えていますので、評価したい。

立派な教団組織があって統制が取れてるものが優れているかというと、一長一短のように思うんですね。変な権威主義が霞をかけてしまうこともあるのです。近代啓蒙主義が見落としがちなところに宝があるのでは?という気もします。

« 『魔術的芸術』 | トップページ | 真言宗臼杵山天光寺って? »

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1809125/48417619

この記事へのトラックバック一覧です: 現代の隠れキリシタンの様子:

« 『魔術的芸術』 | トップページ | 真言宗臼杵山天光寺って? »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック