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2010年2月21日 (日)

東京でも徳川家縁の寺が朝鮮総連に乗っ取られている

最近知ったのですが、東京・東村山市の国平寺というところが、在日のための朝鮮寺ってのを前面に押し出してやってるらしい。


宗教法人 国平寺

http://www.kokuheiji.jp/


[朝鮮新報 2008.12.24] 東京・国平寺で冬至法要 奉納演奏、室内墓苑公開

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j1224-00001.htm

尹碧巌住職は法要で、祖国の平和統一を祈願して建てられた朝鮮寺である国平寺の経緯について語り、代表的な仏塔である五輪塔について解説した。

(中略)

同胞の無縁仏を安置

国平寺は1965年に建てられた朝鮮寺。

祖国の平和と統一を祈願する建立当初の理念が浸透し、檀家はもちろん、北南、朝・日の交流の場として同胞や市民にも親しまれてきた。

国平寺には現在、在日同胞や日本市民ら約1500位の遺骨が安置されている。なかには無縁仏も少なからず含まれている。

国平寺を開いた柳宗黙大禅師は、異国の地で苦難の末亡くなった同胞たちが祖国統一後、故郷や家族のもとに帰れるようにと、日本各地から遺骨を集め供養してきたという。


そうかあー1965年に作りはったんやなー、ご立派と一瞬思った。

…が、こちらの霊園ガイドの国平寺霊園についてのページによれば…

http://www.ohnoya.co.jp/cemetery/search/detail.php?nShn_idd=0000000268

南北の平和と統一を祈願するお寺、国平寺。

370年前に建立されたお寺で、徳川幕府の八代将軍の徳川吉宗(1684年~ 1751年)の要請により建立されたという話もあり、今でもお寺の屋根には徳川家ゆかりの紋様の瓦がある


ちょいまち、由緒正しい寺じゃないですか。葵紋ってことは官営の寺臭いです。

明治政府は徳川縁を冷遇した事実はありますが、とはいえ戦後随分経つまで維持できてたとこ見ると、別に廃仏毀釈で潰れた寺ってわけでもなく、なんでこんな寺が1965年に朝鮮人のかたに渡ってこんなことなってんだ?

私が攻撃し続けてる、聖徳太子創建の古刹がやはり60年代に朝鮮総連に乗っ取られた大阪の統国寺問題を思い出すのですが…


廃れてなんかいず、日本人の菩提寺としてあって日本人の墓がいっぱい本来あったようですし、統国寺みたいに日本人は居所無くて墓を移動させられたりまたしてんちゃうのー?と思った。

サイトとか見ると、民族協和というより完全に在日同胞向けの寺になっている。


所有権移転の経緯について調べていくと

現在の尹碧巌氏は三代目であるそうだ。

移転時の初代は柳宗黙氏である。

2代目は尹碧巌氏の父親とのこと。


現在のサイトを見ると、*現在の*バックボーンは分からない。

まず北朝鮮を「北韓」と連呼しており、この点では民団(=韓国政府)的である。

しかし韓国・曹渓宗や韓国仏教会との繋がりは皆無である。禅宗を名乗り在日宗教を名乗るなら当然曹渓宗など韓国仏教は出てきそうなものだが…

子供こさえて世襲してるあたりも、韓国仏教の本流からすればおかしいといえる。


しかし、初代である柳宗黙からは、歴然と北朝鮮の香りがする。

柳宗黙は韓国の古刹・月精寺で出家した人で、1930年代に来日、東福寺に身を寄せながら花園大学で学んだ仏教者である。

以下によれば東福寺内の別格塔頭としてある萬寿寺を任されるまでになったそうである。


柳宗黙先生の27回忌を終えて[朝鮮新報 2009.12.14]

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j1214-00007.htm


萬寿寺では、朝鮮総連のサイトを見れば、当時数々の総連関係の活動が成されたことが分かる。

在日本朝鮮留学生同盟(留学同)は、祖国解後間もない1945年9月14日、「緊急朝鮮人学生大会」の開催(於東京)を契機に結成された在日本朝鮮学生同盟(朝学同)」を母体にしています。

朝学同は同年9月23日、京都の萬寿寺において李升基博士などの呼びかけによって作られた「京都朝鮮人留学生会」(後朝学同関西本部)を包括するなど、より広範で全国的な同胞学生団体として活動を繰り広げました。

朝学同は在日朝鮮人聯盟(朝聯)との連携の下、生活権獲得運動、故郷帰還実現運動、国語習得のための講習会等を活発に展開しました。


そういや、映画『パッチギ』が撮影されたのも萬寿寺で、関連イベントが行われたり今でもします。

パッチギって見た人なら分かるけど、あれは韓国ではなく北朝鮮の映画です。朝鮮学校描写とか、北朝鮮のプロパガンダ歌であるイムジン河を象徴的に使うとか。


さらに柳宗黙は在日朝鮮人仏教徒連盟顧問であった。

在日朝鮮人仏教徒連盟ってなんだ?

その答えは朝鮮総連のサイトにきっちり記述がある。

http://www.chongryon.com/j/cr/diary/1948.htm

>08・01 在日本朝鮮仏教徒連盟(現在の在日本朝鮮仏教徒協会)結成

(暴力の加害者と被害者をことごとく逆に書いてる酷い捏造年表ですが、まあそこは本題ではないので今回は深く掘り下げまい)


現在の在日本朝鮮仏教徒協会!?

あの私が徹底的に敵視している邦福寺を乗っ取って統国寺を作った団体ではないか!

住所が朝鮮総連の各部といっしょという、実態は朝鮮総連そのものの団体です。


つまり、結論付けると、柳宗黙は在日朝鮮人として1930年代から在ったが、戦後は北朝鮮に傾倒し、実態は北の工作活動でしかない在日本朝鮮仏教徒協会設立に動き、自身の管理する寺で朝鮮総連の政治活動を助けていたというわけです。

少なくとも今の韓国領にあたる地生まれといえど、彼が生まれ育ったのは分断前の朝鮮である。彼が韓国人であったことは一度として無いし、一貫して戦後は北朝鮮派の人間である。

月精寺で出家したから韓国籍だろうみたいな考えは、当時の状況で物事を見れていない。当時は韓国政府も北朝鮮政府も無い、植民地朝鮮でしかないわけで、さらに日本在住なのだから半島の両政府のどっちに組するかはフラットな位置から考えるものである。

出身地とか関係ないです。北朝鮮が統一すれば故郷も北朝鮮になるはずなんですから。逆もまたしかり。


在日朝鮮人の遺骨守り祖国統一と平和を願う

国平寺(東京・東村山市) 尹碧巖住職

http://www.min-iren.gr.jp/syuppan/shinbun/2009/1460/1460-05.html

二代目を継いだ私の父は、朝鮮半島の海印寺(ヘインサ)の僧でした。現在は韓国で世界遺産となっている由緒ある寺です。しかし、一九一〇年に日本が朝鮮半島を占領して以降、寺に日本人の僧侶が入ったため、父は日本に渡りました。

  朝鮮半島にとって、日本が戦争に負けた一九四五年八月一五日は、日本の支配からの「解放の日」です。しかし、この日を境に、再び朝鮮半島は悲劇に見舞われることにもなりました。

 解放の日からひと月もたたない九月七日には米軍が上陸し、「赤狩り」の名で、三年間のうちに五〇万人の命が奪われました。朝鮮を米国の属国にするためでした。そして戦争が起き、祖国は南北に分断されました。故郷に帰れない遺骨が日本にはたくさんあります。「南北統一の日に、遺骨をもって祖国へ帰る」との思いで「国平寺」はあります。


二代目も同様。分裂前に在日になってるわけですから、海印寺出身だから韓国支持とは限らない。

国平寺は柳宗黙の寺なのだから、当然総連関係なわけですから、二代目もそういう政治思想なのではなかろうか。

しかし、守ってきた朝鮮の寺を日本人に改変されたから日本に渡ったとか、わけわからんなあ。海印寺もまだマシとはいえたいがい衰退してたわけで、日本仏教界は再興の支援はすれど、憎まれるようなことはやってないでしょう。

日本人が入ってきたから「日本に行く」ってのが意味分からない。普通に状況を考えれば、単に日本の朝鮮古刹復興支援の中で海印寺再興事業があり、その過程で日本留学が行われたとかそういうんじゃないの?

「日本仏教が入ってきて迷惑したから」→「日本に行く」って意味が分からない。

それから「赤狩り」うんぬんのくだりでも分かるように、やっぱ北朝鮮寄りっぽくない?



結論としては、現在の国平寺は判断付けきれない。

しかし、柳宗黙が主導した朝鮮総連=北朝鮮の内部組織、在日本朝鮮仏教徒協会が設立大いに関わった寺院というのはまず間違い無いだろう。

時期的にも邦福寺が乗っ取られて統国寺になった時期や、生駒の朝鮮寺とかに「在日の仏教協会を作ろう!」と甘言で勧誘しまくってた時期にかぶさる。(うっかり入ったはいいが「北朝鮮の政治団体じゃん!ふざけんな!」と脱会した生駒の朝鮮寺も複数ある)

国平寺って名前も、統国寺と同じセンスで、いかにもな北朝鮮による半島統一を画策する名前であろう。


こちらの年表も興味深い

http://www.gameou.com/~rendaico/seito_nittyoseizishi_sengozainithiundo.htm

1950.03.− 大阪天王寺、在日朝鮮人仏教徒連盟結成。本部長柳宗黙、事務局長張善光。


天王寺!?邦福寺のまさにそこじゃないか。

北朝鮮の宣伝機関である在日朝鮮人仏教徒連盟の結成地が天王寺というのはどういうことだ。

今まで謎だった邦福寺の乗っ取りの経緯は、やはり在日朝鮮人仏教徒連盟のリーダーである柳宗黙が関わってる可能性が高いのではないか。


往時の柳宗黙を知る方のBlog

柳宗黙先生

http://blogs.yahoo.co.jp/jap41234/49894473.html

一昔前の京都在住の朝鮮人学生や活動家は柳宗黙先生を知らない人はいない。朝鮮が解放された1945年の9月23日には京都在住朝鮮人学生が万寿寺に集まった。

(中略)

また柳宗黙先生は極左路線を走る民戦の路線を根本的に転換する在日本朝鮮人総聯合会(1955年5月)の結成にもご尽力なされた。私は1958−1965年ごろ末端で青年同盟の活動をしていた頃、よくお世話になった。


スゴイよな。BlogのIDが「JAP」ですよ!こういう在日が居るからまともな在日が迷惑するんです。いい加減にして欲しい。どの口で日朝友好とか語るのか。

ともかく、やはり柳宗黙はガチガチの北朝鮮側の人間で、在日活動家方面の重鎮であるということ。朝鮮総連設立にも関わってるというのだから、北の在日工作活動の重鎮と言える。


こりゃあおそらく国平寺も統国寺も、柳宗黙主導の下、北朝鮮の指示で在日朝鮮人仏教徒連盟が乗っ取りをかけたというのが可能性高いのではないか。

国平寺、まともなフリしてるけど騙されたらいかんよ。初代住職が柳宗黙ってことは、北朝鮮ガチガチの寺のはず。墓地代なんか払っても全部朝鮮総連経由で北朝鮮に送金されるんじゃないの。

不自然なまでの「北韓」連呼は総連隠しのカムフラージュでしょう。だいたい普通の人「北韓」なんていまどき言わないだろ。結局、相当政治的イデオロギーと不可分な人らだと白状してしまっている。


朝鮮新報 2006.1.24

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/05/0605j0124-00001.htm

朝鮮人強制連行真相調査団の2006年全国協議会(東日本)が21日、

東京都東村山市の国平寺で行われた(西日本は28日、大阪市天王寺区の統国寺)。

東日本地域の調査団の代表らと研究者、学生らが参加し、各地の調査報告を行い、今年の活動について話し合った。


これ絶対、国平寺は統国寺と同じく総連運営だよー

今回、柳宗黙の記事でこれ以外にもいっぱい朝鮮新報のURL張ったけど、ここって朝鮮総連の機関紙ですよ。

総連の機関紙にだけガンガン国平寺と柳宗黙がたびたび載る。

統国寺と国平寺でいつも総連の政治イベントが平行して行われる。

みなさん、どー思いますか?


私はほぼもう統国寺と同じ構図だと思ってます。つまりここもまた朝鮮総連、そして北朝鮮政府が金儲けと在日社会への食い込みと扇動に使ってる工作機関と思います。

そして聖徳太子建立の古刹、邦福寺が乗っ取られた経緯にもかなり核心に近づいたと思います。


まだまだ調べていこうと思うので続報待て。

また、みなさん情報あればいろいろください。

とりあえず国平寺の元になった徳川縁の寺の名前と来歴を調べなければ。

住所分かってるんだから、東村山役場や図書館へ行って地誌の類絶対出てるから、古地図などと比較すればすぐ分かると思います。

土地勘の無い私には分かりにくいので、お近くのかたで分かるかたおられたらぜひ情報お寄せください。

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