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2014年11月21日 (金)

水子供養の歴史と周辺の研究2-三浦道明の水子観

先代の円満院門跡にして、巨額の負債の問題等もあり、放逐された三浦道明氏。
彼は水子供養というものを初期に広めた中心人物の一人です。
自分が広めたといろいろなメディアで自称していたようです。
今回は、彼の水子観とその問題に触れたいと思います。



彼は、水子供養を世界に広めようと、自著『愛-もし生まれていたら』の英語版も出版。英語名は『忘れられた子-現代の問題への古の答え』は1983年出版。
この本は、海外からはしばしば奇異の目で見られていた日本の水子供養文化に関する英語文献として、海外の研究者からも注目されていたようで、触れた文章もあるもよう。

それによれば、彼は「水子の祟り」を否定するとさかんに言いつつ、その語る言葉は明らかに「祟り」を語ってるという矛盾した態度を取る。

とにかく供養されていない水子があるということは、非常に高い率で不幸に遭遇しているとこことが言えるのは間違いありません。ある人はこれらの現象を見て、水子の霊の祟りだと言う人もあるでしょう。またある人は、偶然だと言う人もあるかもしれません。しかし、これら多くの事実を見る時、祟りだとか、偶然だとか言ってはすまされない、何か無視できないものがあります。


ここで三浦氏は、不幸の原因を要するに、「祟りではない!(仏教的な)業、カルマだ!」と言いたいわけです。
続いて彼は具体的な20の兆候を挙げる。


1.商売がうまくいったなと思うと、また悪くなるといった繰り返しをしている。
2.一生懸命努力はしているのだが、その努力に、報われるような伸びがない。
3.家のなかに病人が耐えない
4.健康がすぐれず、特に女性の場合は、腰の回りと肩と首の具合が悪い。
5.子供が繰り返し怪我をし、落ち着きがない。
6.情緒障害、自閉症等障害児がある。
7.子供の暴力行為が絶えず、悩んでいる。
8.成績は悪くないのだが、受験の当日になると体の具合が悪くなって、結局受験の夢が実現しない…
9.小さい頃は活発な子だったのに、急にヤル気を失して、何を考えているのか分らない。
10.常に病気がちで、特に胃だとか気管支が弱く、子供を連れて四六時中、病院通いをしている。
11.孫の状態が急におかしくなり、精神障害ではなかろうかと思われる。
12.夫婦仲がなぜかしっくりいかず、今では口もきかなくなった。
13.夢をみると、必ず子供の顔が浮かんできて、物言いた気にしている。
14.水子にした数のろうそくが、夢のなかにたびたび現れる。
15.赤ん坊の泣き声が、耳について離れない。
16.お墓や仏壇でお参りしていると、何もしないのに音がしたり、お位牌が倒れたり、奇妙なことが相次ぐ。
17.夜、寝床に入ると、誰もいないのに人の気配を感じたり、障子越しに人の姿が見える。
18.交通事故に度重なってあう。
19.何となく体全体が重く、物事に対して意欲がわかない。
20.不幸が度重なって起き、それも、周期的に不幸がやってくる。



信仰の問題ですから、別にそういう信仰だってんなら、ナンセンスとしか思いませんが、別にかまわんのですけど、
ここで奇妙なのが、始めは「呪い」という考えを拒絶していたはずの門跡なのに、次に並べられるものは、疑いも無く「祟り」である。単にその言葉を使ってないだけに思えます。

供養もせずに水子を放棄することは、重石を付けて走ったり、泳いだりするようなものです(中略)供養されなかった水子、つまり安息をもてなかった水子は、その影響を強くおよぼし、いつでも何事かを起こそうとするように思えます


「祟り」という語を使っていないだけで、その記述される現象は明らかに同じもの。

日本の水子供養研究をしたウィリアム・R・ラフルーアによる書籍では、
違いは、水子が「その影響を強くおよぼし、いつでも何事かを起こそうとするように思えます」という言葉遣いの柔らかさにすぎない、言うまでもなくここで「広くおよぼ」すものは悪性です。とバッサリです。

ラフルーアの指摘でその通りと思ったのがもうひとつある。
業という古典的観念を盛んに三浦氏は言うのだが、そこには奇怪なネジレがある。

因果の法の見地から水子の影響を分析してみますと、最も強く直接の影響が降りかかるのは、同じ家族の他の子供たち、つまり水子の兄妹姉妹であることが分ります。


ラフルーア曰く、「業は仏教の経典ではふつう行為の結果が良くも悪くもその本人の生に実現されることを意味するが、それがここでは歪んで解釈されている。中絶した親ではなく、別の子供たちが水子の怨念と憤怒の矢面に立たされているからだ。」

全くその通りですね。仏教の思想じゃないです、この考え方は。業とかもっともらしくいってるけど、そういうこっちゃないです。

ラフルーラは続けて
「三浦師のような例は明らかにマインドコントロールの典型ではないのか。」
「その種の行為の根本的な道徳性という問題は残る。『大法輪』の祟り特集号に執筆したほとんどすべての仏教徒ももちろんそうなのだが、(中略)
彼らの主張によれば、その種の行為には仏教の伝統からの大幅な逸脱が見られる。だがそこにはさらに、仏教徒に限らずほとんどの人々が容認できる人間的な行動からの大幅な逸脱もあると主張されている。これこそが、祟りには非難に値する何か重大なものがあるという感覚が消えない理由なのだ」
…と、手厳しい。


祟りを煽って不安感を誘うなど、仏教者のやるべき説法とは到底思えない。
仏教の伝統を用いてそれを語るあたりがなんとも悪質に思えます。

三浦氏の水子論についてはまだまだ各メディアで語った彼の思想がありますので、続く。

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