« 霊鷲山福富寺、脱税目的で休眠宗教法人を買収したものだった | トップページ | 富福寺やパーフェクトデイズなどアドライン関連の広告 »

2014年11月14日 (金)

水子供養の歴史と周辺の研究1

水子供養という宗教行事が、仏教界では随分普及して、多くの寺で重要な寺の財源の1つに昨今はなってきています。
しかし、この文化、70年代以降に出現した比較的新しい習俗で、当初は胡散臭い霊障商売と見られ、当初はそういった単立の祈祷寺が水子供養しないことによる害を盛んにメディア使って喧伝し広がったものでした。
当初は眉をひそめていた仏教界ですが、なんにせよメディアで盛んに水子の障りを取り上げるのですから、ご婦人らは不安にかられ、檀家寺に相談するようになる。
そうなると、断る理由もないですし、水子のためにお経をあげましょうとなります。
そうやって徐々に一般の寺院でも行われるようになってきました。
とはいえ、水子の障りのようなことを煽る寺院はごくごく一部で、たちが悪いと思います。



古来から、日本では7歳までの子供は神様の類、神様仏様の管轄のもんと考えられました。
だって、業を詰んで人は死後輪廻の世界へ落ち、またいずれ人として生まれ、していくわけです。
ですが、子供はまだ業詰んでないんですから、死んでも地獄とか行くのは変。
もっかい人として生まれなおすのだと考えられました。


当時は今よりずっと死産や幼くして死ぬ率も高かったですし、そういって死んだ子が地獄にいくとか、まだ無垢で修行もなにもないのに子が天国というのも違和感がある。また、将来もう一度自分の元に生まれて欲しいという親心もあるでしょう。
人として人間界で修行を積むために生まれたのですから、もっかい差し戻しで生まれなおすとしたのです。


ですから、幼子や、まだ人の形をしてない死産など、そういったものの葬式は原則しませんでした。
逆に、やったら生まれなおせないとしてやらないほうがいいとまでする民俗も報告されています。
記録に残る例としては、全くゼロではないのですが、それとて今のように祟るから、障るからという法要ではなく、あくまで生まれ変わりを願うものでした。
ま、なんにせよ70年代までは一般には無かった習俗なのです。




しかし、医学知識が高まり、受精卵や胎児は命ではないのか?との価値観も生まれ、
そういったなにか後ろ暗い女性の気持ちと連動するかたちで、一部宗教者の喧伝と合わさって水子供養は一気にブームが起こったのです。
その当初に喧伝し広めた人物こそが、当時円満院にあった三浦道明そのひとなのです。



この水子供養、いろいろと複雑なイデオロギーの対立関係を含んでいる。
そもそも中絶は禁止されていた時代もあるのです。しかしそれは富国強兵、殖産的な意味合いでの国家政策としてありました。
その後、女性の生存権という女性権利の文脈での、中絶の合法化を勝ち取るという流れがある。


ですから、中絶賛成・反対には、女性の権利という議論がまずある。
一方で、生命倫理の観点から、胎児にも人権を!という文脈がある。キリスト教社会からの主張もこのあたりに絡んできますね。

また、どの時点から独立の生命なのか?というのもさまざまな見解がある。

・受精した瞬間から
・神経組織が完成する瞬間から
・母体と別個に生命を維持が可能な瞬間から
etc.

現在の法律では、母体と不可分である段階までは母親の権利を優先、単独で生きうる段階からは胎児にも人権ということかと思います。


現在の仏教界では、このあたりに明確な見解を出せずにおり、なし崩し的に各寺院の新商売としての水子供養を黙認するような形が大勢です。
しかし、やはり霊の障りを強調するような言説には反対する声が多いようです。大法輪での特集のときは、やはりそういった声が多かったです。



欧米のキリスト教社会からは、現状の日本の水子供養は奇異の目で見られることが多いようです。
だって、殺生を禁ずる仏教が、中絶再禁止を訴えるわけでもなく、むしろ水子供養という形で結果的に受け入れているように見えるわけです。
積極的に水子供養商売を展開してる寺が、どれだけ本気で中絶禁止への運動をしているのか?
莫大な金をそれで儲けながら、そういった運動に使うわけでもなく、より煽ってビジネス拡大です。


結局、中絶どんどんやって気に病んでくれれば御の字、水子供養にどんどん来てくれ!ってことじゃあないのか?と見られてもしゃーない。



ほんといえば、障りなんて煽らず、古来からの業を詰んでない子は、再び生まれ変わるんですよ、業の無い無垢なる存在が祟るなんてないし、生まれ変わりを願ってナムナムしないさい…とでも言って、安心させて前向きにさせるべきではないのか。
障りを煽って不安感をかきたててしまうのは仏教者のやることとは思えない。



あくまで普通の葬儀など死後葬礼でもそうですが、あくまで「手向け」として遺族がせめてものということでやるもの。
仏弟子としてあの世で修行できますように、と、個人が御菓子好きだったからとその御菓子備えるのと同じような文脈であるものだったはず。
仏教者の側からこれらを要求してやらせようとするのは筋が違うんです。
葬儀にしても、ちゃんと葬式しないと祟る式に言う坊主が居たら、それはけしからんですよね。
同じことが水子供養にも言える。
あくまで手向けとして遺族の心づくしとしてすることはいいことでしょう。
しかしそれを僧侶の側が煽って仕向けるとはどういう了見か。


そんな理屈は仏教には無いし、本山で修行したときも習ってないはずだ。
それは仏教とは関係ないはなしだ。



水子供養寺に言いたいことは、中絶禁止運動を大々的にやってから言えってはなしなんです。
水子供養で大儲けした金で、でっかいお堂建ててる場合じゃないでしょ?
こんなのは、これじゃあ単なる銭儲けではないか。悪質と私が断ずる理由です。



また、これらがマッチポンプ的構造を持つことも問題。
初期に、それまでそんな話なかったのに、雑誌で水子の祟りが祈祷寺の僧侶の側から喧伝され、それを当人が請け負うというマッチポンプ構造があったことは間違いない。


これが悪用されやすいのは、どうとでも言えることに尽きる。
子々孫々に祟ると言ったりしておりまして


「あなたは水子が付います。だからあれやこれや…」→「いえ、記憶に無いです」
「じゃああなたのお母さんが中絶しているはず」→「いいえ」
「では先祖の誰かだ!とにかく水子付いてるんだよ!」


…と、これじゃあ誰でも心当たりあるだろうし、若い頃中絶経験があり、更年期にさしかかったご婦人などであればなおさらです。
どうとでも言って不安を煽れるもので、こんなのを普及させるのは害悪しかないです。


もっとみなが幸せになる説法があるはず。
水子の障りで脅すようなやりくちは、霊感商法まがいである。

« 霊鷲山福富寺、脱税目的で休眠宗教法人を買収したものだった | トップページ | 富福寺やパーフェクトデイズなどアドライン関連の広告 »

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1809125/57985813

この記事へのトラックバック一覧です: 水子供養の歴史と周辺の研究1:

« 霊鷲山福富寺、脱税目的で休眠宗教法人を買収したものだった | トップページ | 富福寺やパーフェクトデイズなどアドライン関連の広告 »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック