民俗

2010年7月31日 (土)

堺大魚夜市と鯨踊り

堺大魚夜市というのが堺市で本日7月31日に行われている。毎日新聞などが協賛だそうで、毎日の大阪版では2Pまるまる使って特集していた。

これのことですね。http://www.eonet.ne.jp/~e-kansai/osaka/sensyu/080731/yoichi.html

市つっても、住吉大社信仰と関連した神事も行われるお祭りで、単に市だけではないそうです。


堺大魚夜市の起源は、約800年前の鎌倉時代初期、豊漁と海上安全を祈る住吉大社の神事にさかのぼる。夏祭りの夜から朝にかけて、神輿が堺・宿院へ渡御する際に、泉州の漁師たちが鮮魚を奉納。余った海産物を市をたてて売ったのが始まりとされる。

以後、連綿と続いたとされ、最盛期の江戸時代には、主に大阪湾のタコを扱ったため、「タコ市」とも呼ばれた。

第二次世界大戦前後に13年間中断。1950年に再開したが、臨海工業地帯となって堺の漁港の機能が縮小したため、74年に終了。

82年に堺青年会議所(現・堺高石青年会議所)が復活させ、01年からは複数の団体による実行委員会が主催している。

魚セリに先立って、午後6時から、特設ステージでは、神事や住吉踊りの披露がある。続く「包丁式」では、日本料理・四条流の古式にのっとって進められ、「割烹いの」(堺市堺区)経営者の井野英治さんが包丁人として、神前から下ろされた鯛に、手を触れることなく包丁と箸だけで丸ごと一匹をさばく。


おお、有職料理じゃんこれ。京都ならともかく、大阪にそんなんできる人いるんですね。びっくり。



さて、堺の民俗と言えば、もはや途絶えて伝説になってる「鯨踊り」

堺市出島から住吉大社の祭礼に出す踊りである昔この出島の浦には鯨が入ってきたので網でもって捕ろうとしたところ、鯨は紀伊水道に逃れた。残念のあまり鯨の模型を作り、鯨を捕る踊りを踊ってどもに慰めあったのがこの起こりであるという。

踊りの歌に、「鯨とろとて網まですいて、鯨、熊野へ皆帰る」とあるのはこのことを歌ったものという(なお、鯨が大阪湾に入ってきた例は近世の記録ではいくつかあるようである)。

鯨の模型は木と竹で骨組を作り、外側は黒い布で覆い、これを車のついた台の上に載せてひく。鯨を追う船の作り物五台がこれに従う。鯨は非常に大きなもので、したがって費用も莫大であって、何十年に一回しか出ない。最近では昭和29年の夏祭りに出たのが最後である。

(『日本の民俗27 大阪』著者:高谷重夫、出版社:第一法規出版株式会社)

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これって両方、夜市も鯨踊りも、鯨踊りが行われていた一環の住吉祭礼の一部ですよね?たぶん。

夏に2回も住吉へ魚を奉納する祭事が行われるとも考え辛いですし。


かつて堺の漁民には、海の神である住吉大社に豊漁を願う夏祭りの伝統があり、魚を奉納していたわけです。そこで同時に開催されていたのがこの夜市。

一方奉納の儀式とそれに付随する堺の人々の夏祭りの中で行われてたのが巨大鯨が練りまわる鯨踊り。


…と考えると、堺大魚夜市だけがひとりあるきするのも妙な話です。

本来この夏祭りは、漁民の住吉大社への感謝祭であるわけです。夜市は単なる付随イベントともいえようと思います。夏祭りに夜店が出るような、そんな位置付けなわけです。

復活させるなら、「夜市」と市を前面に出すよりかは、「○○祭」と夏祭りを前面に出して、大阪の天神祭みたいに堺の伝統の夏祭りと位置付けたほうが広がりがあるんじゃないかな。

んで鯨踊りも復活あせればおもしろい。だんじりに匹敵する豪快な海の文化を見せれるのではなかろうか。

住吉大神、つまり海の神に祈るという精神文化も復活するといいのじゃあなかろうか。

単なる安い鮮魚市じゃ、精神的に貧しいじゃん。せっかくの伝統文化、活かして欲しい。

大阪は伝統ほんとはあるのに、ほとんどこういう民俗文化が無くなって廃れています。だからこそこういうのは大事にして欲しい。


なお、鯨踊りについては、ググると、復活させようと言ってる人もいるようです。


『鯨踊(まつ)り展』をきっかけに全国の鯨踊りを堺で

http://www.sakai-journal.co.jp/167/01.htm

鯨踊り展つーのをやったそうだ。


さらに、今回、漁協で鯨踊り関係の資料が発見されたそうで、今回の夜市でも鯨踊り関係資料の展示があるそうです。


半世紀ぶりに蘇るクジラの記憶 幟旗など発見 堺・出島の漁師奉納

堺・出島の漁師たちが住吉大社(大阪市住吉区)に奉納していた巨大なクジラの山車の目玉部分と幟旗などが、地元の漁協事務所で約半世紀ぶりに見つかった。

山車の奉納は昭和29年を最後に行われておらず、関係者は「堺で漁業が盛んだったころの祭りの様子を知る貴重な資料」と話している。

堺区出島西町の漁協事務所で、かたづけをしていた役員の大目良男さん(69)が今月中旬、箱の中に保管されているのを見つけた。

幟旗(縦185センチ、横70センチ)は白地の綿布に墨などで「住吉丸 大鯨」などと記載。一緒に見つかったクジラの目玉(縦20センチ、横60センチ)は、ガラスと木で作られていた。

住吉大社によると、クジラの山車は、現在も行われている住吉大社から宿院頓宮(とんぐう)(堺市堺区)まで神輿(みこし)をかつぐ「神輿渡御(とぎょ)祭」を前に、出島の漁師たちが奉納していたという。

大社の記録では、明治20年、42年、昭和6年、29年と約20年ごとに奉納されており、社殿の大改修などの大社の慶事の前後に行われていた考えられている。

昭和29年の山車は、竹を編んでクジラをかたどった全長約27メートルに及ぶ巨大なもので、今回、見つかった目玉は頭の部分に取り付けられていたとみられている。

地元では「鯨まつり」と親しまれていたといい、発見した大目さんも昭和29年の祭りに参加。住吉大社に山車を奉納する途中、お囃子(はやし)や踊りに合わせて、クジラを突く役などをしていたという。

しかし、祭りの由来など詳しいことは分かっておらず、大社権禰宜(ごんねぎ)の小出英詞さん(35)は「クジラは『海の神様のお使い』といわれていた。堺へ下る神輿渡御を前に、堺の漁師たちが先にクジラをお迎えとして大社に遣わしたのかも」と話している。

また、地元郷土史家、鎌苅一身さん(62)は「堺の沖合の大阪湾には当時、よくクジラが現れていたが、なぜこうした祭りが行われていたか、今後調べていきたい」としている。

クジラの山車の目玉などは、堺市堺区の大浜公園で31日に開かれる堺大魚夜市で展示される。

http://www.sankei-kansai.com/2010/07/28/20100728-041841.php

おおーすごいタイミングで発見されたものです。

鯨踊り復活の機運は高まってるような気がしますね。

早ければ来年の祭りに鯨復活あるか?

2010年7月24日 (土)

最後の龍王宮祝祭−もうひとつの水都大阪2010ってのがあるらしい

毎日新聞大阪版の大阪面より。

最後の龍王宮祝祭−もうひとつの水都大阪2010

韓国・済州島出身の女性らの祈りの場「龍王宮」=大阪市都島区中野町4=で25日午後3~9時、「最後の龍王宮祝祭-もうひとつの水都大阪2010」が開かれる。龍王宮はJR環状線桜ノ宮駅近くの大川河川敷にあるプレハブ小屋で、長らく祭事に使われてきたが、法的には不法占拠のため立ち退きと取り壊しが決まり、有志らが最後を見届けようと祝祭を企画した。見学会やパネル展示、映像上映、一人芝居などがある。

(中略)

祝祭は、民俗学や都市計画、歴史など幅広いジャンルの研究者らで作るコリアン・マイノリティ研究会、こりあんコミュニティ研究会が主催、世話人で神戸女学院大非常勤講師の藤井幸之助さんは「十分な準備はできないが、多くの方に来てもらい、この空間の記憶をとどめたい」と話している。

参加費1000円、先着50人。午後5時からの祝宴には別途実費が必要で、天神祭の奉納花火も合わせて鑑賞する。申し込み、問い合わせは巣際のコリアン・マイノリティ研究会の藤井さんのメールへ。


まだあったのか!

以前の話では4月にも取り壊しと聞いてたので、春になったのになんもやらないみたいだなあ。もう潰れてんだろなあ。そのうち跡地見に行ってみっか…と思ってたんですが、まだ残ってたんですね。

んで天神祭にぶつけてまた「もうひとつの水都大阪」とやるそうです。


こりあんコミュニティ研究会のほうにも告知があった

http://kocoken2009.blog68.fc2.com/blog-entry-29.html


けど、内容的には読めるんで、別に行かなくてもいっか~という感もかなりしてます。

ここは基本宗教学とか民俗学が主導するもんじゃないんですよ。社会学なんです。なのでへぇ~とは思うけど、別段「建物はもともと国鉄の工事労働者の仮宿泊施設を建設業者から払い下げられたものだった!」と言われても「凄い大発見!」とは思わないんですね(笑 関心分野とちょっと違うのです。

自分は民俗学で捉えてるので、地域に根ざした伝統文化・習俗といったように、文化としての価値を問いたいのです。


朝鮮人の民族の誇り!とかマイノリティの悲哀!とかそんなもんも全く関心が無い。

日本以外の外国の習俗が大阪の地にローカライズされて生まれたエスニックな文化としてむしろ愉快と前向きなものとして捉えています。

そんなん日本人でもマイナーな地域・集落ごとのマニアック習俗ってあります。でもそういうものこそおもしろい!と民俗学好きは考えるわけです。マイナーな地域文化をマイナスに捉えるのではなく、それを多様性として尊ぶのです。

なのでこれが取り上げられて急に民族活動家みたいな人らが「我らの誇り!」とか今まで見向きもしなかったくせにはしゃぐのには批判的です。そこで実際に信心持ってやってた人の素朴な信仰をそっと見守るのが正しいと思います。そういうホントの当事者の頭越しにいきなり出てきて「オレらの誇り!!」みたいに当事者気取りされると、なんか違うんじゃないか?と思います。

これは民族活動家のもんじゃなく、信仰してる信者の人らのものです。信者のかたがたに行く末は委ねるべきで、なぜかいきなり沸いてきた民族活動家方面が取り仕切ってしまうのは変じゃね?と傍から見てると思うわけです。


…という話は、前回のに参加したとき随分苦言を呈したと思います。

そういう民族主義的アプローチに拠ってしまったら、残すべき民俗としての伝統文化は歪められてしまうし、政治利用されたら当事者が迷惑被るだろうと書きました。もっと民俗学的、宗教学的アプローチが欲しいと。

あのときはそういう方向に行きそうな香りプンプンで、今後を危ぶみました。


が、コリアンコミュニティ研究発刊のジャーナルの目次では宗教学的アプローチもあるようだし、今回のBlog記事見ると

私たちは今後も引きづづき、龍王宮での祈り「クッ」にかかわった神房(シンバン)・菩薩(ポサル)・僧任(スニム)・利用者・関係者への聞き取りや資料収集、龍王宮の記憶を残していくための調査研究活動をしていく予定です。


…とあり、期待できる方向も検討されていることが伺われます。

済州島出身者がかなり多くを占めた大阪の在日が生んだ習俗である朝鮮寺、韓寺という習合文化の香りがよく残ってるのが済州島様式を代表する存在である龍王宮でありまして、

昨今後継者不足で、どんどん半島から新たに呼び寄せた、戦前からの在日の流れと断絶したアッチ様式のシンバンに置き換わって、どんどん水を必要とする本来の在日様式が失われてるわけです。

一世世代もどんどん死んで残り少ないわけですし、戦前を知る人なんてもうほとんど居ないでしょう。だからこそ、今これらの聞き取りを信者のかたや旧来型のシンバンなどにして記録に残すことは非常に意味がある。

水を必要とする済州島式御用達の龍王宮、つまり龍王宮を今も利用することを必須とするシンバンなどは、旧来の一世世代の生んだ朝鮮寺の伝統をよく残す寺である可能性が高いわけです。だからこそ、龍王宮は他の朝鮮寺等と比べても密かに重要な施設で、優先的に調査しなければならない対象だと思うわけです。なので閉鎖はまだ研究が進んでないので、まずいな、と。

このあたりの価値に気付いてくださってるようで、非常に嬉しく思います。


怪我の功名か、一概に朝鮮寺とひとまとめにするのではなく、初期朝鮮寺の様式であった済州島要素の色濃い祭祀形態の価値を考える視座が広がったように思います。

民俗好きの観点からすると、まんま移してきたような朝鮮半島そのまんまコピーに置き換わってしまうのはつまんない。

在日一世世代が産んだ宗教が「朝鮮寺」といううわっぺらの看板だけいっしょでも実は滅びようとしてるわけで、これは民俗学としては非常に惜しい。ぜひ残して欲しいのです。

その意味で龍王宮が注目され、そこに潜む済州島要素を多くが知ることになったことは非常に大きい。あとはこれを若い世代がどう価値を見出すか(または見出さないか)。今後の信仰の現場がどうなるのか、注視していきたいと思う。


今までの流れだと、どんどん半島出身のシンバンに置き換わっていってて、遠からず半島様式になって朝鮮寺つったら済州島様式が強いという定義は無くなるんだろうなーと思ってたんですが、

結果的にこの龍王宮閉鎖という事件は、知名度アップにより、済州島様式の価値復権への道を開いた可能性もあるかもしれない。

2010年2月 8日 (月)

マリア・デュバルは存在した

霊能者のマリア・デュバルって知ってますか?

いきなりダイレクトメールが香港とかシンガポールから届いて「私にすがれ!」とくるというもの。

妹に以前来て(心当たり無し。どっかの名簿業者経由だろう)、おもしろいのでググったら、いっぱい届いてる人がいて笑いました。他にもいろいろバリエーションがあるそうです。

いっぱい他にも同じ業者発の霊能者が居て、てっきり架空の存在でそんなの居ないと確信していました。

…ところが!


酒井法子はすでに離婚済み!?海外の“有名占い師”が衝撃の予言

http://news.walkerplus.com/2009/1009/4/

>10/8、ヨーロッパを代表する占い師、マリア・デュヴァルさんが来日記者会見を開催。

>酒井法子さんと鳩山由紀夫首相の未来を占い「酒井さんはすでに離婚しているのでは?」など、数多くの衝撃的な予言をした。


東京ウォーカーは金貰って書いてるとしか思えないヨイショ記事をたびたび載せることで知られる「情報誌」ですが、またか…という感想ですね。

最近だと、テキサスバーガーが大評判!ツイッターで猛烈な好評価!という記事がありましたね。


で、こんな胡散臭いのを載せてるというのを知って、本当にどうしようもないな、と思いました。

でも本人という触れ込みの人物が出てきたというのにはとても驚きました。


やや日刊カルト新聞の過去記事でさっき知りました。

酒井法子ネタでアピる霊能者と“怪しい手紙”

http://dailycult.blogspot.com/2009/10/blog-post_10.html

いろいろなマリア・デュバルからのDM貰った人らへのリンクなんかも載ってるので参考にどうぞ。


やや日刊カルト新聞は昨年に創刊されたそうで、最近知りましたが、とても素晴らしい仕事をしていると思う。

私は近年サイエントロジーがヤバい!と実は常々言ってるんですが、日本では表に名前出さないで裏活動ばっかやってるのでぜんぜん世間では危機感が無い。けどそのあたりもきちんと押さえてて、本当に分かってる。

他にもファミリーについても追ってるあたり、自分の要チェック教団と被ってて参考になる。

今本当に危ないのは宗教法人を名乗ってるとこより、NPOだのボランティアだのの皮を被ってる団体ですよ!

やや日刊カルト新聞をみんなもチェックしよう!

2010年1月26日 (火)

「アナザースカイ」2010/01/15

1/15に「アナザースカイ」という番組を見た。

山本太郎が少林寺に行くというので見た。少林寺が気になったので。

http://www.ntv.co.jp/anothersky/20100115.html


驚いたことに、山本太郎は10年ほど前に、「プライベートで」一ヶ月も少林寺に滞在して入門して修行してたというのだ。なんなの、山本太郎(笑

少林寺が今どんな風なのかとか見れておもしろかった。


少林寺には周囲にいくつかの道場があって、そこの1つで山本は有名な先生に師事して修行したのですが、

今回行くと、その道場が無い。というかあたりが観光化されて、整備されて公園みたくなってる!

観光地として人気になって、政府があたりを綺麗に整備したのです。

その際に先生の道場は取り壊されてしまったのです。

当時の写真を見ると門下生もいっぱいいて繁盛してたようなのですが、今先生は何をしてるかというと、カンフーと全く関係無く、工場で働いているという。世知辛い…

賞とか取ってるカンフーの達人で有名な先生だというが、それを活かせないというのはかわいそうです。(太郎、道場再建に出資してやれよ、と他人事なのでちょっと思った)

10年ぶりに先生に会って稽古付けてもらうんですが、帰国してから一回も練習してないという山本だが、動き様になってますね。めっちゃくちゃ厳しく辛い一ヶ月を過ごしたというし、なんだかんだで身に付いてるんでしょう。俳優やるうえでは、この経験はアクションするのにかなり武器になるのでは?


その他少林寺の武術学校で今も修行する少年少女にインタビューしていた。

全寮制で、少年だけでなく少女も修行の日々を送っていました。

でもここに入門しても「将来は警備の仕事をしたい」とか、普通でした。

少林寺は禅宗寺院で、本来なら坊さんになるはずなんでしょうが、そんなのはもう潰えた文化っぽかったです。

禅ではいろいろな禅修業の方法論があり、虚無僧の禅も尺八三昧が修行というものですが(心乱れては正しい音は出ない!)、少林寺のカンフーもまた僧侶の護身術であると同時に禅の修業として厳しい肉体鍛錬があると思うのです、本来。そういうのがもっと残ってるのかと思ってたのでガッカリ少ししました。

仏教や道教は、文化大革命でほぼ全壊みたいなことになりましたから、その後復興過程でやはり禅寺としての文化は途切れたのかなあ…なんて思うんですが、実際どーなんでしょうか。

武術学校と寺としての少林寺は今別個なのかな?よーわかりません。

2009年11月19日 (木)

浅野祥雲作品再生プロジェクト

浅野祥雲知ってますか?昭和のコンクリ仏を造りまくった仏師。

珍スポット好きなら知ってるかと思いますが、おおむねバカにされてるだけでした。私はそうはぜんぜん思ってないんですけどね、でもまあ世間一般にはコンクリ作りという時点でバカにする向きが多いのでしょう。

コンクリート、つまり石灰作りというのは、古くはエジプトでツタンカーメンやらなんやの仮面や棺に使われたカルトナージュ技法をはじめ、由緒正しい素材であり、コンクリ=近代工業という発想は、単にモノを知らんだけです。

石灰塑像というのはぜんぜんバカにされるような種類のものではないと思います。


浅野氏をマジメに評価してる変人はでもやはりいまして、すばらしいと思います。

サブカル視されてるけどやってることは明らかに民俗学の都築響一氏とか非常に評価してるようです。

先月には都築響一氏のトークライブ・スライドショーが名古屋でありました。

http://b-spot.seesaa.net/article/127463499.html

いこかいくまいか悩んでたんですが、結局多忙で行けませんでしたが、浅野祥雲再評価の機運が高まってて喜ばしいです。

「浅野祥雲は"昭和の円空"である!!」は全く同意です。これが分からん癖に表面的な美醜にとらわれて仏ガールとかいうてる人はモノの本質がわかっとらんのですよ。


ふざけてんじゃなくって、このあいだだらだら書いた

信仰美術とその魅力について

http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20091002/1254450680

のような、柳宗悦の「他力美」に通ずるような、信仰美の凄みがあるわけです。こういうの単なるゴミとしか見えない人は、貧しいですよ。これをいい味と楽しめないと、生きてておもんないですよ。


さて、今回のイベントも主宰した浅野祥雲作品再生プロジェクトの大竹敏之さん。日本唯一の浅野祥雲研究家を自称する浅野作品研究の第一人者。日本一のファンといったほうがいいか。

彼の主宰する浅野祥雲作品再生プロジェクトを応援したい。


浅野祥雲作品再生プロジェクト

http://www.days.ne.jp/chinmeisho/event/

屋外作品前提であるため経年劣化が著しい浅野作品の塗装塗りなおしなどの修復をみんなでボランティアでやろう!というプロジェクトです。

前回の修理イベントは大成功に終わったようです。よかったよかった。


ほんとね、美術好きは、こういう現在進行形の時代のモノを軽んじる傾向がある。古ければいいみたいな信仰があるのです。

古いか新しいかはレアさの基準にはなりえても、作品本来の価値とは無縁であるはずです。

仏像とか仏画でも江戸期のものは軽んじられてる傾向が強い。でも造形的に凄い作品がわんさとあって、古いのばかり貴ぶ風潮はほんとおかしいと思います。そういう意味で、「昭和の円空」という表現は、作りに作りまくった浅野氏には極めて妥当だと思います。

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