民族

2010年8月30日 (月)

中国の若い子は文革を本当に知らないらしい

中国の若い子と話したんですが、私が各民族の伝統習俗に関心があるみたいなはなしになって、民族衣装の話しになって、あちらも日本の和服に関心があるてなこといってて、そういうエスニックカルチャーに関心あんのかなと思って

「でも日本じゃ和服のような民族衣装は初詣だ夏祭りだとにしか着ないものになっちゃってる。中国の民族地域ももそうなってくのだろうね」

と、なにげなく言ったんだけど「中国の信仰文化は日本とは違う!」となにやら民族の誇りが。

彼女は漢族だったので「文革でずいぶん廃れたけど香港とかにはよく残ってるみたいね」とまたなにげに言ったんですけど、香港コンプレックスを刺激しちゃったみたいで

「香港の文化は本物じゃない!外国のもの。本当の中国の文化は内地にある!文革はなにも悪影響などないし、何千年もの伝統が残っている!」

…とのたまう。

うわさには聞いてたけど、ほんとに文革について真実を知らずにいるのだなあと哀れに思った。


中国で今ある伝統寺院だのなんだのなんて、文革期に完膚なきまでに破壊されたのち、観光用に再建されたようなものばかりです。(全てとはそりゃいわないけど、お目こぼしがあったみたいな類の話し)

それについて中国内地には伝統が息づいている!と愛国心に燃えて、文革を逃れた香港や台湾といったとこに残る習俗をバカにするとか、どうなんでしょ。

明らかに香港・台湾には文革を逃れた習俗や文化が保存されてます。漢族の文化伝統を誇るなら、文革を反省し、これらを尊ばないといかんと思うんですけどね…


文革話しについては賢い子で知ってる場合もあるようです。

以前、あっちの大学生男子とカタコト中国語(翻訳サイト併用)で会話したときは、彼は文革が宗教や伝統文化を破壊しきったことを知っていて、それが中国人の精神的なモラルなどを破壊したと、かなり辛らつな文革評をしていました。

けど、どうもこういう例はかなりレアで、大半の中国の若者は文革を誤解してるもよう。「ちょっと失敗だったとこもある」くらいにしか認識していず、それで「自分らは開けた時代の世代だからそういうことも知ってる」という気になってるふしがある。


あと、この現代の中国の世代は、文革を経て、そういう精神文化が全く地に足付いてない感がある。

観光とかそういうのとしての文化はあっても、生活習慣になじんだような目に見えないようなかたちでの精神文化とそれに伴う道徳観みたいなものが馴染んでない感じ。

件の賢い男子大学生にしても、話聞いてると、儒教だの道教だのなんて遠い世界のはなしで今はどこにもない文献上のもの的雰囲気が口ぶりから分かる。

文革が作り出した共産主義的無宗教世界は今もはっきりと爪痕残してるのを感じました。


文革は終わって反省もしたというけど、いまだに中国政府はそこまで全否定せず、「間違いや、やり過ぎも多少はあった」くらいのゆるーいニュアンスを国民に教えてるわけで、やっぱり中国は今も共産主義国なのだなあというのをこれら中国の学生さんと話して思ったわけです。

香港の復帰やインターネットが今後それをどう変えていくのか見ものでもあろうと思います。

今んところインターネットも規制されてて国外の批判的文革情報得れないだろうので、Proxy通したりコアな層とかから現実見て政府の欺瞞を知るくらいだろうけども、知らないままで済むとは思えないわけです。

2010年7月 8日 (木)

梅棹忠夫先生死去

訃報:生態学者・民族学者の梅棹忠夫氏、逝去

http://slashdot.jp/science/10/07/07/0742250.shtml

http://www.asahi.com/obituaries/update/0706/OSK201007060103.html


私はほとんど他人を尊敬しません。ですが、国立民族学博物館で有名な民族学者の梅棹忠夫さんはちょと尊敬してます。

なのでめったにこんなことありえない「先生」なんて見出しに付けてみた。


歳が歳だし仕方無いのかもしれないけど、凄く残念。

民博はしょっちゅう行ってるし、図書館で資料集めたりよく利用させてもらっています。あそこはほんと凄いよ。ほんとお世話になってます!


同じ梅でも、梅原猛はほんと何トンチンカンなこといってんのこのジイサン…としばしば思ってるのですが(笑)、梅棹先生については、ほんとうに慧眼。変なバイアスかからず論理的にモノを考えるので、非常に的確な解釈をなさると思う。

いくつか著作を読みましたが、おおむね納得できる見解が多く、もう民博も退任されてご隠居のじいさんなのに的確だなあ~と思ってました。

ずっともう失明されてたそうですが、口述で文筆活動をしたりもしてたそうで、まだまだ数々の民族学的な事象について見解を聞きたかった。


なんか各社の訃報では「情報産業」とか「知的生産の技術」とかそんなとこばかり梅棹先生の仕事としてあげてて、残念です。もっと民族学における功績こそ褒め称えられるべきだと思います。

あの梅棹先生もそういう切り口でしか世間に知られてないのか…民族学って知名度低いんだなあ…こんなおもしろいのに…と残念な思いです。

2010年4月25日 (日)

縄文たんがギャッルギャルになってた!

縄文文化的意匠が面白いと思います。そんなわけで、縄文アート的な本とか見つけるとよく購入しています。

アイヌ文様なんかもおもしろいですね。アイヌは縄文とイコールってのはちょっと違うと思うけど(縄文+北方のオホーツク文化が習合してる)、より縄文的なものを残しているのは事実でしょう。我々の失ってしまったルーツをそこに見ます。


2005年にあった「縄文VS弥生」展。弥生娘と縄文娘を衣装から再現して、比べてて話題になりました。

http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2005/jomonvsyayoi/index.html

f:id:ragaraja:20050520144927j:image

縄文とかこれまで未開の文化なんかないかのような誤解があったけど、最近の研究ではファッションも凝ってて、後期縄文では栽培もはじまってるし、文化的にも高いものがあったことが分かってきています。

そういう縄文イメージを変えるような再現です。


ただ、ちょっと疑問があるのは、弥生人の再現。魏志倭人伝など中国の記録では倭人は刺青入れて南方的な習俗だったようです。弥生人のイメージがこれってのは実はおかしいというのが最近は分かってきています。

弥生人骨と縄文人骨は明らかに別系統で別人種ですが、紀元前後にもなれば両者の特徴を兼ね備えた、日本人の祖ができあがってきます。そうして出来た混血民族が中国の先進文化を吸収し、刺青文化などが廃れていった末が、これの弥生人像で、縄文と対比すべき弥生人は恐らくこんなじゃないです。

弥生人のジャポニカ米が中国南方種でありますし、恐らく長江流域の少数民族らに近いような風体だったのではないでしょうか。中国の史書にも倭人の習俗は越人(呉越同舟の越。ベトナムって意味ではない)に近いとあるようですし。


さて、縄文vs弥生展、圧倒的に縄文ちゃんがかわいいだろ!というのが当時話題になりました。

弥生ちゃんも私は嫌いじゃないけどなあ。けど縄文ちゃんがかわいいのは認めざるを得ないところです。よく似合ってる。

この縄文ちゃんをやったのは、ティーン向けのファッション雑誌Melonのモデルだった高橋由真ちゃん。よくしらんが「ゆまC」とか紙面で書かれてたんじゃないでしょうか(笑


かわいいしこれから売れるんじゃないの?と思ってたのですが、どうなったんやろ?とこのたびググってみました。

http://ameblo.jp/yuma-takahashi/

ゲェ~!!ゆまち!めちゃeggギャルな感じになってる!まさかの展開すぎて吹いた。


ゆまちはCDも出してるぞ!

http://www.crownrecord.co.jp/artist/yumachiandaina/whats.html


売れるだろうなあと思ったら確かに売れてるのだけど、こういう売れ方とは予想外すぎて度肝抜かれた。

今どっかの博物館の縄文展で、ゆまちに縄文モデルのオファー出したら、事務所は受けてくれるんだろうか?

むしろ自由なファッションでギャルっ子は縄文ファッション理解してくれそうな気もするけど、事務所的にNGか。

今のゆまちに縄文ファッション着せて見てみたい。

2009年7月22日 (水)

シーサーとは何なのか?

沖縄の魔除けといえばシーサーです。

家の構造の変化で屋根にシーサー置けなくなったりで、最近では門柱の上などに移動する例が多いとかなんとかですが、シーサー自体は決して廃れていないようです。

あと沖縄では道の突き当たりに本来置く魔除け石、「石敢当」も盛んで、廃れるどことかなんだか近年どんどん復活してるらしいです。


シーサーの起源を考えるとき、この沖縄では全く別種の両者が実は関係しているのではないかという考え方があります。

「石敢当」ですが、沖縄と文化的交流があった福建や台湾方面には上に獅子頭を掘り込むものがあるのです。

獅子のおなかに「石敢当」の3字が刻まれているようなイメージです。

さらに沖縄では基本は壁埋め込み型ですが、中国には石柱型の石敢当もありまして、石柱の上に獅子頭という形式が存在するそうです。

古くは日本の民族学の先駆者・鳥居龍蔵の記録に雲南の石敢当が特殊で、石で虎を彫り、その胸部に石敢当と刻むという報告があります。しかもそれを屋根に置くという。(『人類学上より見たる西南支那』)

つまり、ガオーと立ったような姿で、腹に「石敢当」の3字の獅子だとか虎だとかの魔除けが大陸には存在するわけです。


ここでシーサーのはなしに繋げる前に、中国の魔除け文化かじってるひとなら分かるでしょうけど、このガオーと立って屋根に居る獣、「風獅爺」まんまですよね。

「風獅爺」というのは中国の魔除けで、ガオーと立って鎮座してる魔物みたいな像です。屋根の上に載せるタイプの風獅爺もあるようです。

柱状に立ってる魔除けの獅子像というのは、極めて風獅爺に近似している。

つまり獅子像+石敢当が風獅爺であるということです。


さらにシーサーってなんなんだ?と考えると、要するに風獅爺の琉球ナイズされたものなのでしょう。

ヤマトの狛犬文化と習合してるのかもしれないですが、基本的にあれは風獅爺そのものなのだと思います。

造形的には獅子ですが、使い方としては風獅爺です。


シーサーと風獅爺についての論考は、こちらの狛犬マニアのかたのサイトが詳しかったです。

http://homepage2.nifty.com/liondog/kuron/komazatu_04.htm

http://benkyobeya.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_eeb3.html

http://benkyobeya.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_e893.html


基本的に全く同意です。

シーサーが実はわりと新しい習俗であって、明治以後の狛犬の造形の影響をおおいに受けているという指摘は勉強になりました。


そもそも村の守り獅子としてのシーサーはもっと古いけど、屋根に置くシーサーはわりと近代のことと言われてるようです。

なぜかというと、茅葺の民家がほとんどで、瓦屋根でなかったから。

当時の瓦職人が中国・台湾の習俗をまねてはじめたのだろうと言われています。


そこで風獅爺でなく、シーサーを置いたというセンスはなにげに凄い。つまり既に村の守りとして設置されてきているシーサーがあっちの風獅爺と対応する存在であると理解してるってことですから。

さらに意図しているのか分かりませんが、阿・吽の2体にしたり明らかにヤマトの狛犬文化の要素も習合させていくというセンスもまた凄い。

上のサイトのかたも語っておられますが、狛犬が国家祭祀の仏教や神道の界隈で発展したものなのに対し、シーサーは民間信仰の界隈のものなわけです。それゆえのなんでも吸収する気概がより強いような気がしますね。

狛犬もいろいろ自由にやってますがやはり神社に設置するものですし、それに対して個人の家屋の守りであるシーサーは個人のセンスでそれ以上になんでもありな世界で今後も発展続けうる存在なのではないでしょうか。こうだから民間信仰はおもしろい。

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